父の命日 | 乙さんの夢日記

乙さんの夢日記

睡眠中に見た夢を語ります。

 11月14日は父の命日、思い出を語る、



父の略歴)大正生まれ、①没落貴族の家で育つ、②戦時中は歩兵連隊に入隊、③戦争末期、列車に乗せられ西に向かう④姫路か神戸辺りで終戦、⑤戦後は極貧生活、⑥知り合いのコネで大手会社に就職、


(番号の説明)

①都内の一等地の地主、曾祖父は実業家、②軍隊内で吃音症状の為に名前、点呼言えず常習的にビンタを食らう、③多分、本土決戦に備えて、④空襲または広島の特殊爆弾の為に足止め、⑤家屋の被災は免れたが、家財道具等を売却、農家に物々交換、またゴルフの打ちっ放し場で仕事、進駐軍の打ったボール拾いで家族を養う(金網の籠に入って客の的にされながら拾う屈辱的な仕事)



以上、親戚の集まりの会話の拾い聞き、酒の席の話しなので話半分で


自分も吃音(ドモリ)持ちだか父の吃音症状は激しく怒鳴りながらでないと会話出来ない、いつも怒られている感じ、祖母によると軍隊生活で重症になったとの事、PTSDの疑いあり、また神経過敏の症状もあり、夜中に物音がすると叩き起こされた、


自分が幼少の頃は怖い存在の父だった、



晩年:気弱になった父、自分は独立自営業を開業した実家を出てワンルームのマンションに住む、週1で実家に帰宅、年末の繁忙期は休み無く年明けに帰ると涙ぐみながら迎えてくれた、通院の付き添い時、待合室で子供がはしゃいでいると嬉しそうに目で追う、生活に追われて所帯を持てる身分でなかった自分は、この時ばかりは親不孝をしたと後悔、



最期:配達中に姉から危篤の電話連絡がくる、前にも危篤から回復した事があったので仕事が終わったら面会すると返事、夕方、2便出車前に緊急電話、姉が看取った、



思い出:父とは1度だけ酒を酌み交わした事があった、親戚の集まりにて、最初で最後の酒の席だった、酒に強かった父は酔いつぶれた、


今思えば嬉しかったのだろう