
インスタで繋がっている同級生男子Tが教えてくれてね。担任だった先生や、うちらの同級生に会えるかな〜?なんつって。
Tと会うのも実は10年以上ぶりだったみたいだけど、SNSで繋がってるとそんな感じもしないもんで。金髪にも全然びっくりしなかったわ

私は、卒業以来初めて、最初で最後の再訪…か〜。
凄い記憶力

あと3年で開校100周年だった学校は、私が通っていた頃から既に古〜くて。
だから、28年ぶりだったのに全然変わってない印象w
でも、児童の数は少なくなっててね〜。一学年1クラスしかないんだもんなー。
市長や来賓挨拶の言葉よりも、ずーっと伝わってきたよ

学校なくなっちゃうのは寂しいけれど、子どもたちの逞しさに、安心したのでした

そして、久々すぎる同級生との再会が嬉しかった〜

私とT以外、みんなちゃーんとパパ&ママになってたわー。
弟の担任だった先生が、校長先生になっていて。
弟のこともちゃんと覚えててくれてた

忙しいだろうに、校長室にも入れてくれて、一緒に写真撮ったり

私は4年生の時に転校してきたから、通ったのは3年だったけど、やっぱり懐かしくて

式の後は教室も自由に見学できてね。
勉強した記憶は一切残ってないけど、音楽室はキュンキュン

資料室みたいなところにこんなものもあったので、野球ファンとしてはほっておけずにパチリ。
緑小学校とは特に関係ありませんでしたが
小樽北照高校からプロに行ったお二人(西田明央選手#30 と又野知弥選手#39)のサインでした





卒業制作で私達が作ったらしいステンドグラス。全然記憶にございません

同級生たちの記憶力に感心したけれど。
今日になって思い出した私の黒歴史

この学校に転校してくる前に通っていた札幌の学校は、私が入学した時、開校2年目という超新しい学校で

転校してきたこの学校は古くてね。その落差の激しさにショックだった。
トイレもトイレットペーパーが備え付けじゃなくて、教室から紙を持っていかなくちゃいけないとか

それに、給食も不味くて
札幌の学校は隣の学校で作ったのだったけど、小樽は給食センターで作られたのでね〜、パンもごはんも、麺も何もかも、作ってくれてた方には申し訳ないけどまずかったです
札幌の時は、給食のおばさんへと言う作文を全校放送で読むくらい給食好きで、残したことなかったのに、小樽の給食がショックすぎて残しまくり



あと、転校してきた当初、私は色白だったんで、それを『白人〜』『外人〜』とかからかう男子がいて。今思えば、ただの幼いやーつなんですが、当時の私はホントに、嫌で、傷ついたし
毎朝学校行きたくなくて、お腹痛い〜ってテーブルの下にもぐって、登校拒否しようとしてました。結局母に引きずり出されて登校してたんですけどね


札幌とは違う小樽訛りも、すんごく違和感で、なかなか馴染めなかった

そんな思いを、今朝思い出しました。
もちろん、しばらくしたら、そんなことにも慣れて、気にしなくなっていったと思うんですけどね。
でも、やっぱどっかで、嫌〜って思いがあったから、心からこの学校を好きとは思えなかったのかも。
嫌だったってこと、友達に言ったこともなかったと思うし、今も学校が好きだった友達にあえて言ってもねって感じだから言わないけど、やっぱ綺麗な思い出ばっかりじゃなーい

その思いに気づいて、嫌だったーってことを認めたら、あの時の私の思いも成仏したかなと思います

嫌なことばかりでもなかったし。
出たい人だけが出たNHKコンクール(合唱)の練習で、先生に『岡村孝子みたい
』(←当時はなんのこっちゃで、褒められてるってことはわかる感じだったけど、今思うとめちゃ嬉しい褒め言葉
)って褒めてもらったこととか
コンクールの課題曲の歌詞とかも鮮明に覚えてる




校歌もね。
覚えてはいたけれど、歌ってびっくりしたの。
『かがやく日かげ』って歌詞に。28年越しの衝撃ー
日向じゃなくて、日かげが輝くんだって。

一行目から度肝抜かれてしまったよ

そして、大きな声では言えませんが、『知恵をばみがく』の歌詞、『知恵を、ばみがく』と思ってました。『ばみがく』ってなんだろーって
昨日初めて気づいたー。はんずかぴー


日の丸の隣のデザイン、何かわかんないけどw 勝手に野球ボールと☆?マジ?私のトキメクやつ
って思ったり

いただいた記念品のボールペンが、緑色で萌えたり。(ひーくんがファイターズにいた時のひーくんカラーが緑だったので)
そんなHappy勘違いも発動してたのですが

なんとなく、ネガティブなこと書くのって苦手だったのだけど、今回ちゃんと自分の思いに向き合えて、良かったです。 見て見ぬふりしないで、ちゃんと自分をヨシヨシしてあげられた気がします。
いつも鬼龍院さんの歌には寄り添ってもらっているけれど、今日は特に

この歌がしみました。
おやすみなさい
