高校に入学して、吹奏楽部に入って知りあって。バスも一緒だったから、ほとんど毎日一緒に学校に行って。2年生の時はクラスも一緒で、もちろん修学旅行の班も一緒。クラスが違っても同じでも、3年間授業中よく手紙を書いたり どうせ休み時間とか部活、行き帰りのバスでもたくさんおしゃべりするのにね。
大学は別々だったけど、時々ブラス女子で集まったり、卒業の時は定山渓にも行った。
社会人になって、私は伊達、あみちゃんは苫小牧だったから、同じ胆振地区で お互い土日が休みの仕事ではなかったから、休みが合ったら遊びに行ったりもして。
そして、いきなりの結婚&出産 家も建てて、2人目も産まれて。
その間もブラス仲間の結婚式で会ったり、誰かが帰省するタイミングで集まったり。
そして、3人目を妊娠というタイミングで、まさかの乳がん発覚で。出産後、手術。これが3年前の話でね。
退院後少し落ち着いたくらいで、お家に行って。元気そうだったけど、「これ、カツラなんだ~」の告白に、驚いた。知識として知っていても、目の前にいる自分の友達がそんなことになるって、やっぱり信じられないし、受け入れられないというかね・・・。
それから、仕事復帰もしたけど、再発。今年の6月のあみちゃんの誕生日に連絡した時は、日によって体調がいい日と悪い日があるから、もう少し落ち着いたら会おうねって。その日を楽しみにしていたけれど。。。
10月1日。仕事が大かた終わって、あともう一息っていう頃に携帯が鳴って。知らない携帯番号からだったけど、出てみたら、あみちゃんの旦那さんで。今朝亡くなりましたって。
お通夜、告別式が土日だったので、両方行ってお別れして来れました。急だったけど、中国在住のブラス仲間も飛んできてね。綺麗にお化粧してもらっててね、眠ってるだけのようでした。なんだかね、「ごめん、ごめん」って言いながら起きてくるんじゃないかって、なかなか離れられなかった。
一番上のお兄ちゃんは中学一年で、真ん中の女の子が小学校一年生、下の女の子は3歳でね。可愛い子供たちのことが一番心残りだったよね。お兄ちゃんはとっても優しくてしっかりしてて、妹思いで。だからパパのお手伝いしながら妹たちの面倒もみたりしてたんだろうけど・・・、妹2人もまだまだママが必要なのに・・・・。あみちゃん、まだ38歳よ。早すぎだよ。
葬儀も行って、もう一週間たったけど、やっぱりまだ信じられないというか、信じたくない、認めたくない、受け入れることが怖い、そして後悔
思えば思われる お通夜の日の朝、北斗晶さんのこの記事を読んで。何もできなかった自分が情けなくて。あ~、もっと、変な気つかわず、連絡すれば良かったって、後悔。
今の家に引っ越すまで、たぶんプリントの裏に書いたようなw 授業中のくだらない手紙(←でも今となっては、くだらないとは思えない)もとってあった気がするけど、それは処分してしまったようで、ちゃんと封筒に入っているものだけが残っていて、告別式の後帰宅してからは、あみちゃんが大好きなドリカムを聴きながら手紙を読んだりしてました。
携帯電話でメールするようになったのって、きっと大学の途中からで、その間は普通に文通w してたみたいで。時代を感じたわ。
内容はすっかり忘れていたようなこともあって、へぇ~、こんなことあったんだ~とかw でも、そうそう!って思い出すこともあったし、色んな事を連鎖的に思いだしたりしてね。私がどんなこと書いてたかはわかんないけど 何でもこうやって話し合ってたんだよねって思ったら、尚更、何気ないことでも話したりしたかったなってね。
きっかけは沢山あったのにな~。
私、ツイッターは情報収集用w で、自分はめったにつぶやいたりはしないのだけど、突然フォローされて、その人の名前が「あみ」だったり、シルバーウィーク中行った居酒屋が、5分前まで空いてたんですけど満席になっちゃって 今度何かサービスしますって店長さんが名刺をくれて、その店長さんの名前があみちゃんと漢字も同じ「亜由美」だったりね。
なんかその名刺をカード入れとかに移動せずに、ずっとスマホケースに入れたままだったのよね。スマホを開ける度にあみちゃん♪ってなるからね。他にも、うちの本社の経理の方が、あみちゃんの旧姓の時の苗字で、名前も「亜」まで一緒だから、メールが来るたび思いだしたりもしてた。そして、北斗さんや川島なお美さんのニュースとかね。
だからね、連絡はしてなかったけど、毎日あみちゃんのことは思ってたんだよ。でも、思うだけじゃダメだったなって、後悔。あの頃は他愛ないことをあんなにしゃべってたのに、どうして今できなかったかな。
シルバーウィーク、最後の家族旅行をしてたんだって。私がこの名刺をもらった時、あみちゃんも幸せだったかな~。それならその時に、連絡すれば良かった・・・・って、もう遅いんだけど。
来月はディズニーランドの旅行も予定してたし、年末の札幌ドームのドリのカウントダウンも行こうと頑張って治療してたけど、シルバーウィークの旅行から帰ってから急に悪くなってしまったようで。
いつも笑ってて、平和で、楽しくて、そんなあみちゃんしか知らないから。あみちゃんのお母さんも、痛いとか辛いとか、言わないで前向きに頑張ってたって言ってたし。でも、最後の方はやっぱり。。。ね。ずっと、大変な治療を続けていたわけだから、辛くないことなんかないのに、ね。本当は治って痛み、苦しみがなくなるのが一番だったけど、敵わなかった。
病気って、がんって一体なんなんだー。そう思わずにはいられません。本人はたぶん心配かけるから言わなかったんだろうけど、最後は肝臓に転移していたんだって。
両親も兄弟も健在な私には、ダメージが大きすぎて、受け止めるのが精いっぱいで。本当は葬儀が終わった後にブログ書こうって思ってたんだけど、何も発することができなかったです。みんなのブログも読んでいたけど、いつもならコメントするだろうところでもちょっと無理で。。。
これから生きていたら、こうしたお別れは必ず出てくるんだろうけど、でもやっぱり早すぎです。私がのほほんと何も変わらず生きてる間に。あみちゃんは何でも早すぎ!私を置いていかないでよ。そんな気持ちです。
本も、音楽も、洋服も、、、色々と影響を受けました。思えば高校の時からオトナっぽくて、なんでもスマートにこなしてしまうあみちゃんに、私は憧れていたし、尊敬してました。もっと色んなこと話したかった。例えば、今なら、えのんくん(ゲスの極み乙女)が気になることなど。それと私が万が一(?)結婚することになった暁には、お祝いして欲しかったです。。。
約20年前(!)にもらったお手紙。ちょうど受験の真っただ中だったんだよね~。いやなこと=受験ww です。いやなこと終わったら、、、私もそっち行くから、また一緒に遊んでね。待っててね。
って、まだ行きませんから安心してください。
それは、あみちゃんが一番悲しむだろうから。
いつまでも、メソメソウジウジしていたら、あみちゃんも悲しくなっちゃうだろうから、元気出して生きます。
まぁ、そう簡単に切り替えることはできないけど。
札幌ドームでパワーもらってくるよ。(←逆か)
なんか、ブログに書くことが怖かった。色々な点で「終わり」を受け入れなければならないような気がして。でもね、たくさんの手紙を読み返して思った。終わりじゃないって。思いこみかもしれないけど、私たちの友情は永遠だ~!って、なんか高校生チックな思考に戻ったみたいな不思議な感覚ですww
なので、これからも私はあみちゃんが大好き って思いながら生きていきます。
あみちゃん、辛い治療、お疲れ様でした。よく頑張ったね。今まで本当にありがとう。
ご冥福をお祈りいたします。