昨日の晩、母に久しぶりに話しかけました。
と言っても母はもう17年前に亡くなっています。
私が平和の詩を書くようになったのは、母の人生あってのことなんです。
母は幼い頃、ナガサキで被爆し、
その後ヒロシマに移り住み、そして私が生まれました。
だから私は、世界でたった2つだけ原爆が落ちた
その都市の両方に関わる人生を送ることができました。
小学生の頃、8月6日が近づくと毎年決まって平和学習がありました。
小さい頃の私にとって平和学習は
夏が来たら受けないといけないもの としか思えませんでした。
だから平和についても、自分のこととしてとらえてはいませんでした。
そしてそのまま大人になりました。
でも、その思いを変えざるを得ない出来事が起きました。
母が肺がんになったのです。
そのとき母が、ぽつりと言ったのです。
「原爆に合わんかったら、ガンにならんかったかもしれんねぇ」
母の家系はいわゆるガン家系ではありません。
7人兄弟のうち、2人だけがナガサキ市内で被爆したそうです。
そしてその2人だけがガンになったのだそうです。
母は最期まで生きる望みを捨てずに頑張りましたが、
私たちに最期の言葉も残さず、逝ってしまいました。
私はそのとき、被爆者を
今なお恐怖のどん底に引きずり落とさんとする事実があることを知りました。
いえ、ニュースなどで聞いてたのかもしれませんが、心に残ってなかったんだと思います。
被爆して何十年も元気であろうが関係なく、ある日突然、
あの瞬間放射能を受けた影響で命を落とすほどの病気にかかるのです。
被爆者は、原爆が落ちた瞬間、生き地獄を目に心に焼きつけられました。
その上、自分の命を奪う病魔が
いつ襲ってくるかもしれないという恐怖に一生苦しめられるのです。
私はその恐怖に耐えられるのだろうか?
いや 耐えられやしない……と思いました。
私はそのとき、原爆の恐ろしさを我がものとしました、
私はそのとき、放射能の恐ろしさに心が震えました。
そのときから……
私は平和への思いを、自分の人生の中心に打ち立てたのです。
それから私は、私なりの平和への思いを詩にしています。
ブログでは平和に関する詩は、テーマ【平和】に集めています。
よろしければ読んでくださいね。
今年は被爆70年になります。
そして昨年末、ナガサキのことを書いた詩ができました。
この詩ができたことを区切りに今年、詩集を出版することに致しました。
本の題名は『心のてるてる坊主 ~ あした笑顔になーれ』です。
題名は、あきサロンののりこさんが考えてくださいました。
本のカバー写真は、おたふくさんことF.Kunikoさんの作品を使わせていただきます。
彼女の写真はCDジャケットになり、
昨年8月6日の式典に参加された世界各国の来賓の方々、
9月末に来広された国連軍縮フェローズの若手外交官の方々に渡され、
今年被爆70周年を迎えるヒロシマへの世界中の訪問者(大使級の方々)へ
渡されることになっています。
【最高の奇跡】
http://ameblo.jp/attamarin/entry-11879851110.html
この本に託す願いは平和です。
それはひとりひとりの心の平和でもあり、世界平和でもあります。
そして私のように平和に無関心だった人々に、平和への思いに心を傾けていただけるよう
これからも詩を書いていこうと思っています。
詩 『ヒロシマの心』は、私が初めて平和について書いた詩です。
どうぞ お読みください。
『ヒロシマの心』【詩集 あったまりんちゃい】
あの日
一瞬にして灰になった町で 生かされたあなたたち
親しい人も 住む家も失い 絶望感に打ちひしがれながら
ただただ人のためにと 一生懸命働いたあなたたちがいたから
生きる希望を失わないで
力強く 一日一日を生き抜いたあなたたちがいたから
今 私たちがここにいる
私たちは あなたたちの心を受け継いでいきたい
あの時 あなたたちがひとつの家族のように
助け合って生きていったように
私たちも身近にいる人を 優しく包んであげたい
あの時のあなたたちのように
生きている 生かされている自分を感じながら
一日一日を大切に
思いやりを忘れずに 生きていきたい
そしたら清水が湧き出し それが川となり
海に向かって流れ出すように
このヒロシマから
暖かいエネルギーを 世界に向けて流せていけるような気がする
だって……
そうなることを何よりも望んでいたのは あなたたちだと思うから
そうすることが
素晴らしいヒロシマの心を教えていただいた
あなたたちへの 何よりの恩返しと思うから
Photo by Kuniko Fukuma