広島で被爆した新藤兼人監督
http://www.magazine9.jp/interv/shindo/shindo.php
長崎で被爆した永井隆博士
http://susono.jugem.jp/?eid=1929
私はこの二人が書かれた本を読んでいます。
新藤監督の『100歳の流儀』を読み終え、今、永井博士の『この子を残して』を読んでいます。
新藤監督は「生きてるかぎり 生きぬきたい」という言葉通り 生涯現役を貫かれました。
これまでにも多くの映画を撮り続けた監督が、
「この映画を撮らなくては私の存在価値はない」とまで言い放った監督最後の作品『一枚のハガキ』
この映画を観て監督の深き熱き想いを少しでも理解できたら と思っています。
そして永井博士は「己のごとく人を愛すべし」という愛の想いを最期まで貫かれました。
自らも被爆し、妻を原爆で失くし、それでも治療に奔走され、ついには病に倒れ寝たきりになった博士。
それでも自分の体を通して原爆病の研究ができることに希望を見い出し、
病床から希望を失った人々を励まし続けられました。
私は博士から、
人はいついかなるときも、どんなに困難におちいっても、本人の心次第で
絶望することもできるし、希望を溢れさすこともできるんだということを教えられました。
私はこれからもヒロシマ・ナガサキのことを勉強しようと思っています。
私自身、もっとヒロシマ・ナガサキのことを理解しようと思っています。
よく「怒りのヒロシマ 祈りのナガサキ」という言葉を耳にします。
私は広島で生まれ、広島で育ちました。
私の母は長崎で生まれ、長崎で被爆し、成人後広島に移り住みました。
私は幼い頃から年に1、2度母の実家がある長崎に行っていましたので、広島と長崎の両方を知り得ることができました。
県民性や世界に向けて果たす使命ももちろん違うと思いますが、
私は広島も長崎もどちらも強さと優しさをもって平和な世の中になることを訴えていると思います。
ただ広島は強さが優しさを包み、長崎は優しさが強さを包んでいるという違いで
人に与える印象が違うのだと思います。
これはあくまで私の感覚なのですが、
ヒロシマ・ナガサキの両方の素晴らしいところ、想いを合わせたとき
未来の平和につながる何か大切なものが見つかるような気がするのです。
今、私の心の中で、ヒロシマだけでなくナガサキも大きく広がってきています。
今年は原爆に関するいろいろな情報を教えていただけるようになり、
またそういう方とも出会えるようになり、少しずつ環境も変わってきました。
そしてようやく自分の中で 今 何をしたいのかがはっきりとしました。
「生涯かけても果たせないほどの大きな志に 今 挑む」
今 ようやく 自分の心がわかってきた気がする
今 ようやく 自分が生きてきた意味がわかってきた気がする
すべて ここに気づくためにあった
すべて これからすることのためにあった
悲しみの嗚咽が歓喜に変わる
暗かった過去が輝くように光を放つ
絶望したからこそ 希望を強く思った
だからこそ 知りたかった
人の絶望を希望に変えるものは何なのか
どうしたら人は 絶望を希望に変えられるのか
どうしても知りたかった
今 この瞬間も 生きることに絶望し
自ら生涯を閉じる人が 跡を絶たない
絶望を希望に変えるものが何なのか
それをしっかりと心で理解できたなら
それをきちんと言葉で伝えることができたなら
まだ 消えてはいけない大切な命が
この世から消えていくのを 何とか止められるのではないか
ずっと 思ってきた
ずっと 願ってきた
どんなにつらくても生き抜き
命をつないでくださった先人たちが
この現状を見たらどう思うだろう
きっと 嘆くにちがいない
そして こう思うに違いない
何のために私たちは
懸命に 命をつなげてきたのか
何のために私たちは
必死に 未来につなげてきたのか
そう 今を生きる私たちは
大切に受け継がれてきた尊い命を
どんなことがあろうとも
たやすく 自ら放り投げることは許されない
人は 生まれてきたからには
命尽きるそのときまで 生き続ける努力を怠ってはいけない
人は 生まれてきたからには
最期まで生き続ける責任を全うしなければならない
生き抜く強さを 人は皆心の中に等しく持っている
人の心の中に皆が等しく持っている 生き抜く強さ
絶望を希望に変える心の力の重要な鍵が
原爆が落ちた後のヒロシマ ナガサキの人たちの心の動きにある気がしてならない
だからこそ ヒロシマ ナガサキのことをもっと知りたいと思う
ヒロシマ ナガサキに起きた悲惨な出来事をきちんと理解した上で
ただ悲惨な出来事を伝えるだけで終わらず
未来を担う子供たちに 生き抜く力 心の大切さを訴えたいと思っている
それが私なりに 平和につながることだとも思っている
生涯かけても果たせないほど大きなものに 今挑もうとしているのだと思う
だけど 不思議とそんなことできるわけないという思いは湧いてこない
時間に余裕があるわけでもないのに
いつやるの なんて自分を追い立てる気持ちも湧いてこない
方法なんて知る由もないのに
どうやってやるの なんて自分を責め立てる気持ちも湧いてこない
心の底から湧いてくるのは
ただひたすらにやりたい と思う気持ちのみ
少しずつ 少しずつでも
できることから始めようと思う
まずは 本を読むことから
まずは 人から話を聞くことから
そして絶えず 自らの心を向上させながら
生涯かけても果たせないほどの大きな志に挑もうと思う
生涯かけても果たせないほどの大きな志に
この命ある限り挑み続けると 今 固く固く心に誓う

掲載写真は、たっちゃんさんの『平和公園の四季』よりお借りしました
http://ameblo.jp/tachan1941/entry-11335608243.html