今日の교장님の말씀
メシヤの使命
メシヤの使命は以下の三つに集約される。
① 永遠なる真理の探究
② 永遠なる人格の探究
③ 真の父母として子女に対する真の愛の探究
①は解説するまでもなく統一原理のことである。
②は하나님と人間との本来持っていたはずの関係性を復帰することを意味するという説明。
③に関しては文字通りなので特に解説はなかった。
これらを復帰することがメシヤとしてのお父様の使命であるという説明がなされた後、
これから我々は宗族的メシヤとして経たなければんならないという内容を語られた。
お父様はメシヤとして生まれたのか?
では、お父様はいつメシヤとしての自覚をされたのか。
多くの講師や牧会者が“お父様は16歳のときにメシヤとしての自覚をされた”と語り、
それがまるで、“その時にお父様がメシヤとしてあまたいる候補者の中からお父様がメシヤとして立たれるようになった”かのようにまことしやかに語られてきたが、
実際にはそうではなく、
お父様はもう生まれる前からメシヤとして来られることが神によって決められていた。
しかし、その事実に気付いたのが、16歳だったというだけのことである。
それはイエス様の系譜を聖書に残しながら、
タマルほか多くの女性たちの血統転換のための摂理を後世に伝えたという神の意図とも符合する。
メシヤ・真の父母・救世主
“メシヤ”、“真の父母”、“救世主”という言葉はどのような意味なのだろうか。
同じものを示すのか?
それとも異なるものなのか?
その目的性から見ると“神の御旨を果たす中心人物”という言ってんでは同じと言える。
しかし、それぞれそのニュアンスは異なる。
(個人的には強調するポイントが違うと解説を入れたい)
まず、“メシヤ”について…
メシヤという言葉の意味は“神のひとりご”という意味であり、イエス様の同じ立場であった。
しかし、イエス様は結局、霊的救援にしか加担することができず、
本来の神の摂理を完遂することはできなかった。
ここから“メシヤ”という言葉には“神のひとりご”というニュアンスに加えて、
神の摂理を完遂できなくてもそう呼ぶことができる呼称だといえる。
では、“真の父母”とはなにか?
真の父母はメシヤが霊的な救援をもたらしたとすれば、
肉的な救援をも含んで人類にその恵みを施すものであるという点で、
その意味が異なる。
この違いを“長子権”という言葉を持って表現すれば、
イエス様は“メシヤ”でありながらサタンから長子権を奪還することができなかったため、
“メシヤ”ではありながら“真の父母”とはなり得なかったのである。
(サタンから人類を肉的救いへと導く“祝福”の権能を得ることができなかったのである
換言すると、長子権を得ることができず十字架につけられてしまった。)
つまり、
メシヤ - 神のひとりご
真の父母 - 神のひとりご + 長子権
という差異が見える。
しかし、真の父母がそういった権能を持ったとしても未だに世界を牛耳っているのはサタンである。
そこで、その長子権・父母権・王権という話とこれがリンクしてくる。
救世主とはそのメシヤであり、
真の父母として勝利した方が王権を樹立するところまで行くことを意味する。
(仮)宗族的メシヤとして
では、そのような勝利をされた真の父母様からどうすれば、
我々はその勝利権を相続することができるのだろうか。
それはお父様の生涯路程を通して学ぶのである。
一般に指導者は能力が必要だ、実力が必要だと言われるが、
一般社会には我々が持っている能力を凌駕する外的能力を持っている人が多い。
しかし、我々が今作ろうとしている世界はそのような外的な能力や方法をもってしては
作ることができないものなのである。
では、どうするか。
お父様がそうであったように、外的な能力を超える天の力、天の方法を持って復帰するのである。
それゆえに、我々天一国指導者は神の(働ける)道であり神の(働ける)橋となることが望まれる。
今後はそのような“奇跡”を起こすことができる“心霊的実力”を持った指導者になるために、
この士官学校で学ばなければならないのである。
メシヤの使命
メシヤの使命は以下の三つに集約される。
① 永遠なる真理の探究
② 永遠なる人格の探究
③ 真の父母として子女に対する真の愛の探究
①は解説するまでもなく統一原理のことである。
②は하나님と人間との本来持っていたはずの関係性を復帰することを意味するという説明。
③に関しては文字通りなので特に解説はなかった。
これらを復帰することがメシヤとしてのお父様の使命であるという説明がなされた後、
これから我々は宗族的メシヤとして経たなければんならないという内容を語られた。
お父様はメシヤとして生まれたのか?
では、お父様はいつメシヤとしての自覚をされたのか。
多くの講師や牧会者が“お父様は16歳のときにメシヤとしての自覚をされた”と語り、
それがまるで、“その時にお父様がメシヤとしてあまたいる候補者の中からお父様がメシヤとして立たれるようになった”かのようにまことしやかに語られてきたが、
実際にはそうではなく、
お父様はもう生まれる前からメシヤとして来られることが神によって決められていた。
しかし、その事実に気付いたのが、16歳だったというだけのことである。
それはイエス様の系譜を聖書に残しながら、
タマルほか多くの女性たちの血統転換のための摂理を後世に伝えたという神の意図とも符合する。
メシヤ・真の父母・救世主
“メシヤ”、“真の父母”、“救世主”という言葉はどのような意味なのだろうか。
同じものを示すのか?
それとも異なるものなのか?
その目的性から見ると“神の御旨を果たす中心人物”という言ってんでは同じと言える。
しかし、それぞれそのニュアンスは異なる。
(個人的には強調するポイントが違うと解説を入れたい)
まず、“メシヤ”について…
メシヤという言葉の意味は“神のひとりご”という意味であり、イエス様の同じ立場であった。
しかし、イエス様は結局、霊的救援にしか加担することができず、
本来の神の摂理を完遂することはできなかった。
ここから“メシヤ”という言葉には“神のひとりご”というニュアンスに加えて、
神の摂理を完遂できなくてもそう呼ぶことができる呼称だといえる。
では、“真の父母”とはなにか?
真の父母はメシヤが霊的な救援をもたらしたとすれば、
肉的な救援をも含んで人類にその恵みを施すものであるという点で、
その意味が異なる。
この違いを“長子権”という言葉を持って表現すれば、
イエス様は“メシヤ”でありながらサタンから長子権を奪還することができなかったため、
“メシヤ”ではありながら“真の父母”とはなり得なかったのである。
(サタンから人類を肉的救いへと導く“祝福”の権能を得ることができなかったのである
換言すると、長子権を得ることができず十字架につけられてしまった。)
つまり、
メシヤ - 神のひとりご
真の父母 - 神のひとりご + 長子権
という差異が見える。
しかし、真の父母がそういった権能を持ったとしても未だに世界を牛耳っているのはサタンである。
そこで、その長子権・父母権・王権という話とこれがリンクしてくる。
救世主とはそのメシヤであり、
真の父母として勝利した方が王権を樹立するところまで行くことを意味する。
(仮)宗族的メシヤとして
では、そのような勝利をされた真の父母様からどうすれば、
我々はその勝利権を相続することができるのだろうか。
それはお父様の生涯路程を通して学ぶのである。
一般に指導者は能力が必要だ、実力が必要だと言われるが、
一般社会には我々が持っている能力を凌駕する外的能力を持っている人が多い。
しかし、我々が今作ろうとしている世界はそのような外的な能力や方法をもってしては
作ることができないものなのである。
では、どうするか。
お父様がそうであったように、外的な能力を超える天の力、天の方法を持って復帰するのである。
それゆえに、我々天一国指導者は神の(働ける)道であり神の(働ける)橋となることが望まれる。
今後はそのような“奇跡”を起こすことができる“心霊的実力”を持った指導者になるために、
この士官学校で学ばなければならないのである。