2022.5.27

 

先週の金曜日 義ママが亡くなり

昨日一昨日で、通夜 告別式を終えました。

 

ずっと闘病を続けてきた、乳がんステージⅣ。

 

義ママは、乳がん闘病中の2019年12月にくも膜下出血を発症してしまい救急搬送。

1ヶ月近い意識不明の状態が続き、脳死も覚悟して下さいと言われていました。

 

それから見事意識を取り戻し、奇跡的に日常生活を送れるようにまで復活してくれた義ママお母さん

ただ、くも膜下出血で入院中は乳がんの治療が全てストップしてしまっていた状態でした。

 

結婚前から飲みに行ったり仲良くしてくれていた義ママ。

私のママと同じ1月生まれの為、毎年1月には必ず夫と4人でママ2人の合同お誕生日会をして、

母の日には毎年ママ2人お揃いのプレゼントを贈って4人でお祝いして、

マイホームを建てる際にも、地鎮祭から設計士さんや工務店との打ち合わせ、外装内装の相談や金銭面、

とにかく色々な面でお世話になり

 

私の家族とも飲みに出かけたりランチに行ったり遊びに行ったり

すごく仲良しな関係でしたクローバー

 

その日はトップガン マーヴェリック公開初日だったため、

チケットを予約していてママと見に行く予定でした。

そんな楽しみにしていたママとのデート日の早朝

施設から届いた義ママの訃報。

 

義パパは 2017年に肺がんにより他界。

夫はこれで両親を若くして失う事となってしまいました。

 

‘孫を抱かせてあげる事 最後までできなかった’

ただただ親不孝な自分をとにかく恨みました。

 

義兄夫婦に娘と息子がいる事だけが幸いでしたが、

私たち夫婦にとっては 我々の子供のおじいちゃんにしてあげる事もおばあちゃんにしてあげる事もなく

亡くなってしまった。

 

今月初めに義ママに妊娠報告をして

母の日にもエコー写真を見せました。

ずっとベッドの上で辛そうに横になっていた義ママが

‘赤ちゃんができました’

と私が言った瞬間だけは 一気に顔色が明るくなって口数がすごく増えた事

夫と2人で驚きました。

孫ができるって、親にとってはこんなに嬉しくて 病気さえもその一瞬は忘れられるものなのだ。

 

あと1年早く私が仕事を辞めていたら

あと半年早く妊活を始めていたら

とにかく夫に申し訳なくて仕方がない。

どうして私の身勝手でこんなに仕事を続けてきたんだろう…

 

悔やんでも悔やみきれないけれど

こうなってしまったらもう私には

義ママがすごく楽しみにしてくれていたこのお腹の赤ちゃんをなんとか元気で無事に産んであげる事しか

できる親孝行が残っていない。

 

夫婦2人共小学校の教員だった、優しい義パパと義ママ。

 

‘無事に元気な孫を産めるよう、おもちと夫と私をお空から見守っていて下さい’

一緒に涙を流してくれた両親の隣で

ひたすら棺に向かってお祈りをしました。

 

今朝もお腹にドップラーをあてると、この世の悲しみを何も知らない元気な心音が聞こえてきて

力強く速いおもちの鼓動に

自分たち夫婦の全ての想いを重ねるのでした。