アタック散歩 憧れの花園編 | 片麻痺回復への道(アタック散歩)

片麻痺回復への道(アタック散歩)

2008年夏に44歳で、脳卒中後遺症重度左麻痺になりました。リハビリにて回復を目指しております。

高校時代ラグビー部だった自分にとって、花園は憧れだった。千葉大会でベスト16になり、あと一勝でベスト8。それを阻んだのが当時千葉では強かった県立千葉東。千葉東と言えば桐谷美鈴ちゃんの出身校。ここは、偏差値も高い高校だった。公式戦で、わが校が76対0で負けた相手。この千葉東が関東大会で山梨の日川高校にぼろ負けを喫した。この日川高校が全国でぼろ負けをしたのを見て、全国のレベルはすごいなあと思ったものだ。当時ラグビー部はチバでは少なかったんだよねえ。千葉では県立千葉東を筆頭に、県立佐倉高校、市立稲毛高校、市立銚子高校、私立八千代松陰高校、などがあり、良く合同合宿をした。合宿では練習試合を一日に4試合とハードであったなあ。当時ラグビーは人気のないスポーツ。監督が作って、部員を集めるのに、不良と言われてる人たちを集めた。自分が一年の時、初代は3年。一度も、3年を見たことがない。噂でしか聞いたことしかなかった。2年も怖かったよ。まあ、時代が時代だったので、しごきはオーケーだったね。毎日練習後にランパスで締めくくる。これは地獄だったね。100mを100往復。全力で走らされた。暗くなると証明がないので監督が乗用車を持ってきてライトをつけてグランドを照らす。そんな毎日だった。絶対に途中で終わらせてくれない。走り切るしかないのだ。練習後に水をがぶ飲みすると、食道を通るときに痛いんだよねえ。食道がくっついているようではがれるときに痛い。練習中には水の摂取は禁止だった。今では考えられないよね。良く生きていられたものだ。あと、炭酸は禁止だった。なぜかわからんが。真夏は、昼間なのに夕方と勘違いするほど、目の前が暗くなったりもしたよ。本当に良く死ななかったよね。 にほんブログ村 病気ブログ 片側痙攣・片麻痺・てんかん症候群へ
にほんブログ村