てっきり残留かと思ってました。


とりあえず配達してもらっている朝日新聞に一通り目を通して、今日は日経と毎日を買ってみました。産経を買い忘れたな。。。 読売?いや、いらないでしょw
気になる大きな出来事がある日は、各紙の書きっぷりの違いが見てみたいので、購読している朝日以外も買って読むことがあるのですが、今日はさすがに買いました。出かける用事があって、毎日と日経はパッとしか読めてませんけど。毎日はデザインが上手いですね。


思う事は色々とありますが、一般論的な話しはここでするまでもないでしょう。
個人的に気になるのは、スコットランドや北アイルランドが、つい数年前に独立か否かの国民投票をしたばかりなのに、また「やっぱりイングランドとは一緒にいられない」となるや否や、というところです。


それ以外で思ったことを二つ。両方とも朝日のコラムとして掲載されていたピーター バラカンさんの話しに触発されました。


一つは、英国のあの国民性は、どこかで日本に似ている、ということ。島国ってそういうものでしょうね。
欧州の国々は皆が地続きで、しかも国土もせまい。だからいがみ合いつつもどこかで協調している。でもイギリスは島国であり、そしてかつての欧州の覇者でもありました。だから、落ちぶれたとはいえEU2位の経済国である後ろだてと共に、思うわけですよね「大英帝国の誇りを取り戻せ」と。
日本は敗戦国なので、さすがに大日本帝国を取り戻せとはなりませんが、しかし英国人の口にする「英国と欧州」というもの言いは、日本人が「日本とアジア」というのと、たぶん近い。

ただそれはそれとして、この流れはもっと大きなものなのでしょう。
第二次世界大戦による疲弊と荒廃から立ち直る過程で掲げられたグローバリズム。でも多くの、特に後発のEU加盟国にとって、EUはあくまでも経済圏としてのものであって、必ずしも政治的なものではないことは、私が言うまでもないことです。
しかし経済的な統合こそ無理が多く、さらに政治的な理念でもつながれない中で、課題が顕著化してくれば、かならず「我が国とは何か」という内向きなベクトルが浮上し、ともすればナショナリズムとしてそれが表面化するのですが、私はそれは大きなプロセスの中の過程としては、悪いことではないと思っています。

どこまで行っても国家という単位から逃れることができず、そして人間には帰属意識が必要であるならば、あるタイミングで必ず「国家とは何か、民族とは何か、私の国とはなにか」という問いが必要で、そして「なぜグローバリズムなのか」ということを忘れてしまうほど、それが当たり前の流れになったとき、必ずそういう揺り戻しはあるはずだし、なければいけない。そうやって揺り戻し、また反対に揺り戻されたりしながら、理念は鍛えられ、強くなっていく。


そしてそれは、もう一つの話しにつながって行きます。

英国が国民投票を行った事は良かったのか悪かったのか、ということ。私は、するしかなかったし、して良かったのだろうと考えています。

私は民主主義、さらに言えば間接民主制という政治体制を、あまり評価していませんでした。もともと政治論としても、民主主義が理想的な政治体制であるなどとは思われていなくて、他よりましだからしかたなく、という側面があります。

民主主義が、単に「民意に任せる」というプロセスに陥れば、それは限りなく愚衆政治に転落することは必然です。私を含めて、多くの大衆は利口ではないのです。素の状態では、大きな政治的な思考、判断をする能力など備えていません。



だからこそ、国民投票が必要なのです。



代議員を選ぶ選挙は、それが国政選挙ならば、本質的には国家の命運を決める行為なわけですが、現象的なレベルで考えてしまうと、「街宣カーに乗ってる騒いでる人から、なんかまあ悪くはなさそうな人を適当に選ぶ」だけの意識になってしまいます。

それでは、いつまでたっても大衆は利口にはなれません。国民投票と言う、身も蓋もなく自らの一票が国家の命運を決めるという行為に参加し、そしてその結果を自らの投票の結果として受けとめる。その結果が成功であれ失敗であれ。

成功なのであれば、自らの判断に自信を持ち、次の機会に備えて、また正しい判断が出来るように意識を高めれば良い。失敗であったなら、その失敗を政治家に責任転嫁することは出来ない以上、苦汁を自ら飲み、なぜこんなことになってしまったのかと自らの思慮の浅さを恥じ、その失敗を取り返すために意識を高めてて行けば良い。

そうやって時々のタイミングで、国民自身が自らの責任で直接的に結果を出す直接民主制を織り込むことが、民主主義が愚衆政治に陥ることから逃れる唯一の手段のような気もしています。


日本も、憲法を変えるという時は、そのくらいのことをしても良いでしょう。ただ、それを変えたところで表面的な生活が短期的に大きく変わる様なことがないであろうことも想定できて、そういう内容のもので国民投票をする意味ってあるかな、とも思うのですが。。。