昨年9月、初音ミクのコンサート初参戦を果たしとことを端に、いまさら「初音ミクってこのままでいいんだろうか」ということが頭に渦巻いてしまい、それをまとめてブログに載せてから次のことを書いていこうと思ったのだが、やり始めてみれば興味や意識があちこちに飛び、まとまりもしない膨大な量の文章が積みあがり、ブログUPが再びスタックしてしまった。

既に新規楽曲もかなりのシュリンク傾向にある中で、初音ミクもオワコンだと陰口を叩かれたりもしつつ、それでも出現から9年を経てもなお武道館3講演をソールドアウトさせるのだから、大したものだ。今年はとうとうビッグサイト。

しかし初音ミク筆頭に、ボカロであったり、それも含めて広く二次元については常に興味を持ちつつ周辺を周回する半傍観者という立ち位置(というと聞こえは良いが、要するに中途半端なハマり具合ということ)を長年保ってきていた感覚から言えば、ミクさん自体云々ではなく、興行のスタイルとしてはおよそ何の工夫もないマジカルミライは終わっている、3次元かつ劇場でのミクさんとのリア交流という、交換性のない価値だけに依拠した武道館3DAYソールドアウトとしか思えない。もちろんマジカルミライ、それも昨年一回1しか私は知らないわけで、雪ミクのような他のメジャーなものから細々としたイベントまで網羅した感触は持てていない。しかしWeb上に転がっている様々な、そして意外と盛り上がっていない「初音ミクはこれでいいのか」的な諸々の発言を鑑みても、私の感触が的外れだとは思わないし、このままでは遅かれ早かれオワコン化して行くのだろうとも思えて仕方がない。

二次元と、「中の人」という三次元に分裂しながら一体で転がるという形態の極北として今のラブライブがあるのだろうけど(ここだけは恐ろしくて近づけない・・・)、初音ミクは本質的に「中の人などいない」という吉田戦車のカワウソ君のような(本当はプログラマーとか、元ネタ声優さんが中の人なんだけど)スタンスを保ち、二次元そのままで三次元に降臨するという離れ業を保っているわけで、今更ながらこれはONE&ONLY。ただ(カッコ内)が重要で、つまり「本当はプログラマーとかが中の人なんだけど」が回避されていくと、初音ミクは映像である以上は物理実態ではないけど、そこがスポイルされた状態を保つ限りにおいて、実在物に近くなる。一方でそれは、「アプリケーションさえあれば自在に操れる人形」としての初音ミクを個々人が喪失して行くプロセスでもあるわけで、果たしてそれがファンにとって幸せな形態なのかどうかわからない。そのあたりは、つなげていけばロボットや人工知能の在り様の話しになってきてしまうのだが、実は私の昨年9月以降のブログUPのスタックは、このロボットと人工知能に言及範囲を広げてしまったことが諸悪の根源なので、ここでは敢えて割愛・・・ したいが、人工知能だけは避けられない。


なんの話しをするために、避けられないのか?


もちろん初音ミクの今後ですよ。
私の浅はかな白昼夢は、初音ミクwith人工知能という、ありきたりなものだから。

すでに、「(事前に画像登録などしなくとも)ファンの顔を見分けて声をかける」「ライブのMCを自分で考えて話す」「曲の振付を自分で考える」あたりのことは、出来る出来ないで言えば、出来る。はず。仮に出来るとすると、先ほど「アプリケーションさえあれば自在に操れる人形としての初音ミクを個々人が喪失して行くプロセス」といったけど、そうではなくて「アプリケーションさえあれば、自在には操れないけど対話しながら(条件付けなどの要件指示をしながら)何かを自分でやってみせてくれる初音ミク」が手に入ることになる。それは、ロボットであれ初音ミクであれ、言うまでも無く一つの究極の姿。本当はその一歩手前で、ここで言う「何かを自分でやってみせてくれる」という自律性は、「そういう自律性を以て何かを思考するというプログラムの範囲」においての自立性であって、もう一歩とは、そこに「主体性のある意識を以て、何のために、何を思考するかを、思考する」事が出来ることなのですが、それが可能かどうかは分からない。そもそも意識とは何かが解明されてませんし。。。 
人工知能の弱点として挙げられる「大局観」を持つことは、シーケンシャルに計算や思考を積み上げていく先に出来るだろうと思います。結局のところ大局観とは、個々の個別事象をどれだけ抽象的なレイヤーにまで引き上げて、そこにある関連性を想起したり掴んだりすることが出来るのかという能力だから、膨大な量の経験を積んでいけば出来るはず。ある意味、そもそもそういう才能のない人間よりも、よほど可能性がある気がする。
一方で限りなく難しいように感じるのは、先述の「何を思考するかを、思考する」こと。囲碁のプロに人工知能が勝ったと騒がれていましたが、じゃあそもそもコンピューターが自律的に「囲碁でもやってみようかなと自分で思う」ことがあるかというと、それは無いんじゃないか、ということです。さっきの大局観のレベルで言っても、何かを大局的に考えたらどうなるかと考えてみよう、とそもそも自律的に思うのかと。それがないと、ステージ上のミクも「アドリブで振付をする」というプログラムの範疇においてアドリブを実行するだけになってしまう。「よし、ここでアドリブで踊って客を驚かすぞ!」とかは思わないわけ。

・・・いや、もうこのまま書き出すと大変なことになるのでやめるが、とにかく「何を思考するかを、思考する」までは及ばないまでも、ある範囲においてそういう自律的な能力を持った初音ミクが個々人の手に渡ることになると、三次元化装置さえあれば(なんならハコビジョンでも良いかも)、労なくして自分だけのためのミクが手に入るわけで、それは実は公器、つまりコンサートみたいな形での三次元初音ミクの存在理由がなくなっていくということかもしれない。
もちろん、それとコンサートは別でしょという話しはあるから、必要なくなるという事では決してないけれど、でも少なくともコンサートが持つ初音ミクというコンテンツ内でのプレゼンスのレベルは落ちる。落ちれば当然ビジネスとしての意味を問われるわけです。どこかで「もうコンサートいらないじゃん」っていう話しだから、続けんの?と。

でも、あと数年このコンテンツが続いたら、たぶんそっち方面のベクトルでの論調が必ず出てきますよね。。。 
え~・・・それはイヤだなぁ。いや人工知能は積んでもらいたいし、自分で考えて毎回違うダンスやMCをするミクなんて最高じゃんと思うけど、それをご自宅でというところにシュリンクして行くのはね。。。なんでか? 




だってコンサート楽しいじゃん。




家で背中丸めてハコビジョン見るのも良いけどさ。それだけですよ。
じゃあそうならないためには、コンサートとしての価値をどうやって保持するか。つまり、ライブをどれだけ有意に出来るか、という単純な話し。話しが冒頭の「初音ミクってこのままでいいんだろうか」に、やっと戻りました。

誰だかのブログを読んでいて、あ、それはそうだよなと凄く納得した発言。

「みんな、ライブ慣れしてないよね」

確かに。
それは本当に思ったね、一回しか見てないけど。

サイリウムを100%みんな振っているのだけど、いわゆるヲタ芸的な動きの統制や予定調和はほとんどないし、じゃあみんな自由に踊ったり、タテノリでガンガン跳ねてたり、あるいは座ってゆったりと聞いているかと言えば、そうでもなくて。なんかギコちなくサイリウムを合わせるでもなく合わせないでもなく振っていて、そしてちょっとばかり体がタテ揺れ。

一方で、曲調自体も、アイドルポップスの様なものからゴリゴリのロック調まであるから(そういうコンテンツなんだから、あたりまえだけど)、そいうい意味での統一感もない。映像も単調、演出も単調。

いや思うのだが、確かに「いつかは武道館」「いつかは東京ドーム」はそうなんだけど、そっちベクトルだけで良いんだっけ? そもそも、初音ミクのコンサートなんて来る類の人は、コンサートとかライブとか、そういうのに行くタイプなの? いやまあアニヲタとメタル好きとかは大概かぶってるとか、そういう話しはあるけどね。
逆に言うと、小さいハコのライブとかでステージダイブとかモッシュとかしちゃうような人が、ミクのコンサート来る? クラブとかでガンガン踊ってる人、来る? そもそも初音ミクとか興味持つの? いや極端な話だけど、なんかその辺からじゃないかと思えて仕方がない。ライブの楽しみ方、クラブの楽しみ方、なんでもいいけど、そっちがない人に、まずそもそも論としてそこを吹き込まないとならないのでは。もちろん会場にいるだけでもそういう空気感
は出るし分かるわけだし、それで価値もあるけど、ミクというコンテンツが3Dで出ますよということだけで本気で楽しんでリピーターとして根付くかね。

一方で、初音ミクがボカロ音源として登場したのが2007年。最後のバージョンUPは2013年ローンチが最後。確かにこれから新しく入ってくるファンもいるだろうし、好きだったけどコンサートは初めてという人もまだまだいるはずだけれども、総論的に言えば従来路線でのすそ野は広がりきっていると考えるのが普通でしょう。およそ想定されるパイは喰いつくしたと。
そこでミクちゃん可愛いい!じゃなくて、もう少し「ああ、こういうコンテンツで楽しむのもアリか」と非二次元サイドのライブやクラブ好きにリーチする方法、あるいは逆にそっち方面の楽しみ方という、パイの拡充ではなく楽しみ方の拡充をすることで、すそ野を広げるのではなく、かさ上げするという方向もあるでしょう。

ていうか、例えばマジカルミライとかを運営したりCG作ったりしている側、たぶんもう「やんなきゃ」っていうことだけで、楽しんでないですよね、そんなには。想像だから外れてたら申し訳ないですけどね。でも楽しんでたら、あんな工夫のカケラも無いようなコンサートにならないでしょう。仮にそうだとするとそこが一番深刻で、観客側を活性させることで運営サイドのモチベーション上げないと、そもそもダメじゃないかと。まあニワトリ卵で、どっちが先という事も無いとは思うが、現実的には運営側が「そっちやんないともう駄目だけど、でも、う~ん、やるか!」という思い切りを持てないと、オワコン一直線な気がする。

じゃあどうやってそれ上げるのか。いやよくよく考えると、マジカルミライとかって、誰が仕切ってんだ? むしろそこから?
じゃあいっそ非こっち側に投げちゃったらどうなんだろうか。もうニッチもサッチもなんで、煮るなり焼くなりやってくれと。もちろんそれはそれで従来ファンが納得するのかとか、そっちの心配はあるんですけど、何も丸投げしろっていう事じゃないので、そのあたりの勘所というかコントロールはあっていいとは思います。思いますけど、原則「そこだけは外しちゃダメ」という、ある意味でネガティブチェックであって、それを結果的にどう料理するかに口出しはNGかと。


僕は観たいけどね、全国ツアーするミクとか、クラブチッタ3DAYSとか、ダイブやモッシュが起きるミクのライブとか。クラブだっていいね、目の前で踊るミクと一緒に踊ってみたいよ。


という事で。。。