また外から眺めて書く評論のようでどうかとは思うけど、安保法案で政府案を色々と批判したり矛盾を突いたりすることに実行的な意味はあるんですかね、と思ったりしています。
魚が腐っている事を承知で売りつけようとする魚屋に、「それは腐ってる!」と言って指摘することに意味はないですよね。だって売ることが唯一の目的で、腐っているのを知っていて「腐ってない」と言い張るのですから、それを「おかしい」と言ったって、「売る」という単独目標が絶対なら指摘に意味はないです。「知ってますが、何か?」でオシマイです。
後方支援は戦闘ではない、戦地ではない、という理屈が、日本国内での詭弁としてしか通用しないことくらい、当の政府も安部さんも分かってるに決まってます。でも法案を通すという絶対目標があるのだから、彼らとしても「おかしくない」と言うしかない。「おかしくないと言うことが、おかしいかどうか」という検証プロセスは、そもそも放棄されています。
じゃあデモは無意味か。
どうでしょう、参加しない臆病ものは何も言えないかもしれませんが、少なくとも安部総理のメンタルには響かない、無意味でしょうね。なんでか。
安倍晋三という人の中にあるものは、これは所々で言及されている通り、祖父である岸信介の亡霊しかないから。
安部首相は国会議事堂前のデモを見ながらをこう言っていたらしいです。「この何倍ものデモ隊に囲まれながら、安保体制を築いた祖父は、やはりすごい」と。デモ隊など一蹴のうちに駆逐することがむしろ彼には大切で、騒げば騒ぐほど彼の自尊心は満たされて行くのかと思います。「俺はやってやるぜ!」と。
じゃあ、腐った魚を承知で売りつける魚屋に打撃を加えるためには、何が出来るのか。
デモなんで意味無いのではと言いましたが、実は意味があると思います。ただし、条件があるのです。個人のメンタリティについてはあえて言及をするのなら、デモ隊を見ながら「俺はやってやるぜ」と思えるのは、マスで見れば自分は支持されているという自尊心が保たれていれば、という条件下です。彼の中には岸信介の亡霊が満たされていますが、つまり言いかえればそこに安部晋三はないのです。極端な言い方ですが、「俺は正しい」という自我に、実は彼自身の内側から出てくる内実は、たぶんあまりないんじゃないのかと思います。だから、近年まれに見る支持率の高さは、かれに内側から湧き出るのではない虚栄の自信を与え、岸信介の亡霊に生気を吹き込んでいたのだと思います。
しかし、そうであればこそ、マスが「おまえはいらない」と言いだした途端に、デモ隊の刃に突然おびえ出す可能性は、ある。。。
つまり支持率の急落や、先の長い話ですが次の選挙での壊滅的な惨敗という数字として目に見える実態のある否定を付きつけられると、「それでも俺は正しい」とは、なれないんじゃないかと思うのです。それでも俺は正しいと自らに言い切る、内なる根拠が十分に無いんじゃないかと。
そういことなので、支持率10%台みたいなことになって、国会前にデモ隊が押し寄せたりしたら、安部さんは何時ぞやの様に「お腹が痛い」と言いだして逃げ出すんじゃないかと、私は密かに思ってます。
じゃあ、安部政権は無意味なのかというと、そうとも思っていません。
安保法案だけではなく、アベノミクスなども含めての全体的な感触としては、諸々の取り組みは仇花として散って行くかも知れないし、散るべきだとは思っていますが、しかしそれは日本の政治の過程として踏まざるを得ないプロセスなんじゃないかと思ってます。
物事には、かならず揺り戻しというものがあります。
例えば安保法案。私は、日本の戦後が終わったとは全く思っていません。日本が本当の意味で戦後というステージを抜けるには、あと20年程度はかかると見ています。戦後90年ごろですね。もうちょっと言うなら、日本が鎖国から開国をしていく明治維新というステージを、まだ日本は乗り越えていないのではないかとすら感じています。
魚が腐っている事を承知で売りつけようとする魚屋に、「それは腐ってる!」と言って指摘することに意味はないですよね。だって売ることが唯一の目的で、腐っているのを知っていて「腐ってない」と言い張るのですから、それを「おかしい」と言ったって、「売る」という単独目標が絶対なら指摘に意味はないです。「知ってますが、何か?」でオシマイです。
後方支援は戦闘ではない、戦地ではない、という理屈が、日本国内での詭弁としてしか通用しないことくらい、当の政府も安部さんも分かってるに決まってます。でも法案を通すという絶対目標があるのだから、彼らとしても「おかしくない」と言うしかない。「おかしくないと言うことが、おかしいかどうか」という検証プロセスは、そもそも放棄されています。
じゃあデモは無意味か。
どうでしょう、参加しない臆病ものは何も言えないかもしれませんが、少なくとも安部総理のメンタルには響かない、無意味でしょうね。なんでか。
安倍晋三という人の中にあるものは、これは所々で言及されている通り、祖父である岸信介の亡霊しかないから。
安部首相は国会議事堂前のデモを見ながらをこう言っていたらしいです。「この何倍ものデモ隊に囲まれながら、安保体制を築いた祖父は、やはりすごい」と。デモ隊など一蹴のうちに駆逐することがむしろ彼には大切で、騒げば騒ぐほど彼の自尊心は満たされて行くのかと思います。「俺はやってやるぜ!」と。
じゃあ、腐った魚を承知で売りつける魚屋に打撃を加えるためには、何が出来るのか。
デモなんで意味無いのではと言いましたが、実は意味があると思います。ただし、条件があるのです。個人のメンタリティについてはあえて言及をするのなら、デモ隊を見ながら「俺はやってやるぜ」と思えるのは、マスで見れば自分は支持されているという自尊心が保たれていれば、という条件下です。彼の中には岸信介の亡霊が満たされていますが、つまり言いかえればそこに安部晋三はないのです。極端な言い方ですが、「俺は正しい」という自我に、実は彼自身の内側から出てくる内実は、たぶんあまりないんじゃないのかと思います。だから、近年まれに見る支持率の高さは、かれに内側から湧き出るのではない虚栄の自信を与え、岸信介の亡霊に生気を吹き込んでいたのだと思います。
しかし、そうであればこそ、マスが「おまえはいらない」と言いだした途端に、デモ隊の刃に突然おびえ出す可能性は、ある。。。
つまり支持率の急落や、先の長い話ですが次の選挙での壊滅的な惨敗という数字として目に見える実態のある否定を付きつけられると、「それでも俺は正しい」とは、なれないんじゃないかと思うのです。それでも俺は正しいと自らに言い切る、内なる根拠が十分に無いんじゃないかと。
そういことなので、支持率10%台みたいなことになって、国会前にデモ隊が押し寄せたりしたら、安部さんは何時ぞやの様に「お腹が痛い」と言いだして逃げ出すんじゃないかと、私は密かに思ってます。
じゃあ、安部政権は無意味なのかというと、そうとも思っていません。
安保法案だけではなく、アベノミクスなども含めての全体的な感触としては、諸々の取り組みは仇花として散って行くかも知れないし、散るべきだとは思っていますが、しかしそれは日本の政治の過程として踏まざるを得ないプロセスなんじゃないかと思ってます。
物事には、かならず揺り戻しというものがあります。
例えば安保法案。私は、日本の戦後が終わったとは全く思っていません。日本が本当の意味で戦後というステージを抜けるには、あと20年程度はかかると見ています。戦後90年ごろですね。もうちょっと言うなら、日本が鎖国から開国をしていく明治維新というステージを、まだ日本は乗り越えていないのではないかとすら感じています。