確かに会社では計画停電の影響を受けていた。おそらく、今後の業務、ビジネスにも大なり小なり影響が出てくるだろう。
しかし、自宅には電気も水道もガスも、何ら問題なく供給されている。
会社への通勤電車も、すでに日常の様子を取り戻している。
スーパーやガソリンスタンドから忽然と姿を消した食料も、ガソリンも、すでにさして労せずして手に入る。
そして恐らく一月もすれば、「そういえば、あの時に買ったラジオは何処にいったかしら?」というのん気な会話が、多くの家庭から漏れ聞こえてくることだろう。
正直、テレビから流れる映像や、新聞の記事、雑誌の写真を見るということ以上には、私には震災の切迫した状況は降りかかってはこなかったのだ。
それにも拘らず、様々なメディアで、執筆者の多くが震災を悲しみ、いま自分に何が出来るのかと切迫した心情を吐露していた。
本当だろうか?
どこか他人事としての感覚しか持てない私は、そんなにも心を失った人でなしなのだろうか。
泣き崩れる被災者の姿をテレビで目にすれば、もちろん私も涙のひとつも出はした。しかしそこまでに切迫した想いを、本当に彼ら執筆者は心のそこから感じているのだろうか?
いや、たぶんそれはポーズではないだろうと思う。そう、ポーズなどではない。もちろん、論評をする立場として、芸能人として、なにがしかの公の対場を持つものとしてのポーズだった人も少なからずいたに違いない。
だがしかし、一方でそれなり数の人たちが、決して切迫した心情がないのにもかかわらず、あると無意識に勘違いをし、そしてその自らの無意識の勘違いに意識が気がついていないのではないか。いたはずだ、決して少なくはないそんな人達が。私は断言する。
そして、本当にどこまでが必要なのかもわからず闇雲にスーパーから水を買い占めてしまう人と、実はその心理はほとんど紙一重なのではないか。降ってきた状況、情報を意識がコントロールできていないうことにおいて。
3月11日から3週間。すでに20日以上の時間が過ぎた。
もう、新たな生存者も出てこないだろう。
これ以上、なにか被害が大きくなることもないだろう(原発を除いては)。
既に被害そのものの報道のネタは、とっくに尽きている。被害そのものの映像や、津波の映像は、もう地震発生数日でネタ切れだ。残る報道は、今後の復興に向けた経済的な話と(家計ではなく国家経済)、濡れた卒業証書で涙の卒業式とか、そういうお涙頂戴話。
別にテレビはそれでいい。それで視聴率を稼ぐことが彼らの商売だ。そういうものだ。
でも、それを見る方は自覚すべきだ。
地震後の数日ならいざしらず、未だに地震報道を「かわいそうね」「怖いわね」といって見て、時に涙するその自らの姿は、既に地震直後の未知の惨事に目を見張る姿ではなく、ゴシップ雑誌のタレントスキャンダルを見る野次馬根性の後姿と何ら変わりないことを。
自覚しているなら、別にそれでもいい。皆、それでいい。それでもいいさ。
自覚しているのか。
みんな。
何が言いたいのか。
そんな知ったことを言いながら、私には分からなかった。
何が起きたのか。
結局、どういうことだったのか。
だから。
見るしかないじゃないか。
だから、行って来た。
宮城へ。
石巻と、女川へ。
なにも、なかった。
なんにも、なかったよ。
ここで、その地の状況がどうであったか詳しくは書かない。
写真も多少は撮ったが、ここには載せない。これからも、載せない。載せたくない。
別に、報道されている映像と何も変わりはない。あの通りだ。
でも自分が撮った写真を確認しながら、納得が出来なかった。そこに写っているものは、確かに新聞で何度となく見た写真と変わりはなかった。
でも、そうじゃない。
そうじゃないんだ。
そこに立って、見渡す限りの光景は、その写真じゃないんだ。
石巻を後にする。
片道5時間。
当たり前の高速道路の姿の後に、当たり前の横浜の町に降りる。
一日前に出発した時の町と、なにも変わらない。
でも、なぜそこに当たり前に町があり、楽しそうに人が歩いているのか。
昨日、私は石巻にいた。女川にいた。
そして今日、月曜日になり、会社に出社した。
通勤電車の車窓から見下ろす町並みに、見渡す限りの瓦礫の荒野が、重なってしまう。ざわざわと心がするのです。
通りを歩けば、骨組みだけになってしまったビルの姿が、目の前の建物に重なって見えてしまう。動悸がしてしまう
そんなものは見たくないのに。感じたくないのに。
何かがキーキーと音を立てると、海鳥の鳴き声しかしない石巻の港で、切れ端になったトタン板が風になびいてキーキーと音を立てていたことを思い出し、体がすくんでしまう。
会社からの帰り道、何事もない町並みに押しつぶされそうで、怖くて歩けなくて、何度もしゃがみこんでしまった。
行かなければ良かったさえ、思える。
大げさなのかも知れない。
それっぽい文章にするために、それっぽいことを書いているだけだと思われるならば、それでいい。
でも、僕が見てきたのは、そういう光景だった。
そういう光景だったんだよ、みんな。
こんなことは、書きたくはない。
でも、私は今、すこしだけ泣きながらこの文章を書いている。
忘れないし、忘れることも出来ない。
でも、出来ることなら、もう思い出したくない。
テレビも新聞も、見たくない。
だから地震のことそのものをこうやって書くのは、これを最初で最後にします。
もう二度と書きません。二度と話したくない。
でも、考える。
改めて、私は考える。
見てきた上で、考える。
いま、自分は何をすべきか。
答えはシンプルだ。
普通に生活しよう。
普通に食べ、普通に風呂に入り、普通に買い物をし、普通に仕事をする。
いずれ彼らはまた家を立て、商売をはじめ、学校に通うようになる。それまで、僕たちは普通に生きる。特別なことは何ひとつない。それでいいのだ。それだけでいいんだ。
最後に二つ。
関東、東海の沿岸に住む方へ。
このブログは、おそらく数十人程度の人の目にしか触れない。
でも、その中に1人でも関東、東海の沿岸に住む方人がいたら、覚えておいてください。
東海地震は、確率的にはもういつ来てもおかしくはない。もしも大きな地震が来たら、何も考えなくていいです。ただ、ただ逃げてください。
何度も何度も、飽きるほど津波の映像を見たことでしょう。でも、違います。それは違います。
4階建て、5階建てのビルを丸呑みする津波とは、そういうことではないのです。
どうか、どうか逃げてください。
そしてもう一つ。
ありきたりの応援の言葉など、口にしたくはない。
でも言う。
生き残ることが出来た皆さん。
どうか、どうか頑張ってください。
どうか、生きてください。
僕の話は、これで、おしまいです。
しかし、自宅には電気も水道もガスも、何ら問題なく供給されている。
会社への通勤電車も、すでに日常の様子を取り戻している。
スーパーやガソリンスタンドから忽然と姿を消した食料も、ガソリンも、すでにさして労せずして手に入る。
そして恐らく一月もすれば、「そういえば、あの時に買ったラジオは何処にいったかしら?」というのん気な会話が、多くの家庭から漏れ聞こえてくることだろう。
正直、テレビから流れる映像や、新聞の記事、雑誌の写真を見るということ以上には、私には震災の切迫した状況は降りかかってはこなかったのだ。
それにも拘らず、様々なメディアで、執筆者の多くが震災を悲しみ、いま自分に何が出来るのかと切迫した心情を吐露していた。
本当だろうか?
どこか他人事としての感覚しか持てない私は、そんなにも心を失った人でなしなのだろうか。
泣き崩れる被災者の姿をテレビで目にすれば、もちろん私も涙のひとつも出はした。しかしそこまでに切迫した想いを、本当に彼ら執筆者は心のそこから感じているのだろうか?
いや、たぶんそれはポーズではないだろうと思う。そう、ポーズなどではない。もちろん、論評をする立場として、芸能人として、なにがしかの公の対場を持つものとしてのポーズだった人も少なからずいたに違いない。
だがしかし、一方でそれなり数の人たちが、決して切迫した心情がないのにもかかわらず、あると無意識に勘違いをし、そしてその自らの無意識の勘違いに意識が気がついていないのではないか。いたはずだ、決して少なくはないそんな人達が。私は断言する。
そして、本当にどこまでが必要なのかもわからず闇雲にスーパーから水を買い占めてしまう人と、実はその心理はほとんど紙一重なのではないか。降ってきた状況、情報を意識がコントロールできていないうことにおいて。
3月11日から3週間。すでに20日以上の時間が過ぎた。
もう、新たな生存者も出てこないだろう。
これ以上、なにか被害が大きくなることもないだろう(原発を除いては)。
既に被害そのものの報道のネタは、とっくに尽きている。被害そのものの映像や、津波の映像は、もう地震発生数日でネタ切れだ。残る報道は、今後の復興に向けた経済的な話と(家計ではなく国家経済)、濡れた卒業証書で涙の卒業式とか、そういうお涙頂戴話。
別にテレビはそれでいい。それで視聴率を稼ぐことが彼らの商売だ。そういうものだ。
でも、それを見る方は自覚すべきだ。
地震後の数日ならいざしらず、未だに地震報道を「かわいそうね」「怖いわね」といって見て、時に涙するその自らの姿は、既に地震直後の未知の惨事に目を見張る姿ではなく、ゴシップ雑誌のタレントスキャンダルを見る野次馬根性の後姿と何ら変わりないことを。
自覚しているなら、別にそれでもいい。皆、それでいい。それでもいいさ。
自覚しているのか。
みんな。
何が言いたいのか。
そんな知ったことを言いながら、私には分からなかった。
何が起きたのか。
結局、どういうことだったのか。
だから。
見るしかないじゃないか。
だから、行って来た。
宮城へ。
石巻と、女川へ。
なにも、なかった。
なんにも、なかったよ。
ここで、その地の状況がどうであったか詳しくは書かない。
写真も多少は撮ったが、ここには載せない。これからも、載せない。載せたくない。
別に、報道されている映像と何も変わりはない。あの通りだ。
でも自分が撮った写真を確認しながら、納得が出来なかった。そこに写っているものは、確かに新聞で何度となく見た写真と変わりはなかった。
でも、そうじゃない。
そうじゃないんだ。
そこに立って、見渡す限りの光景は、その写真じゃないんだ。
石巻を後にする。
片道5時間。
当たり前の高速道路の姿の後に、当たり前の横浜の町に降りる。
一日前に出発した時の町と、なにも変わらない。
でも、なぜそこに当たり前に町があり、楽しそうに人が歩いているのか。
昨日、私は石巻にいた。女川にいた。
そして今日、月曜日になり、会社に出社した。
通勤電車の車窓から見下ろす町並みに、見渡す限りの瓦礫の荒野が、重なってしまう。ざわざわと心がするのです。
通りを歩けば、骨組みだけになってしまったビルの姿が、目の前の建物に重なって見えてしまう。動悸がしてしまう
そんなものは見たくないのに。感じたくないのに。
何かがキーキーと音を立てると、海鳥の鳴き声しかしない石巻の港で、切れ端になったトタン板が風になびいてキーキーと音を立てていたことを思い出し、体がすくんでしまう。
会社からの帰り道、何事もない町並みに押しつぶされそうで、怖くて歩けなくて、何度もしゃがみこんでしまった。
行かなければ良かったさえ、思える。
大げさなのかも知れない。
それっぽい文章にするために、それっぽいことを書いているだけだと思われるならば、それでいい。
でも、僕が見てきたのは、そういう光景だった。
そういう光景だったんだよ、みんな。
こんなことは、書きたくはない。
でも、私は今、すこしだけ泣きながらこの文章を書いている。
忘れないし、忘れることも出来ない。
でも、出来ることなら、もう思い出したくない。
テレビも新聞も、見たくない。
だから地震のことそのものをこうやって書くのは、これを最初で最後にします。
もう二度と書きません。二度と話したくない。
でも、考える。
改めて、私は考える。
見てきた上で、考える。
いま、自分は何をすべきか。
答えはシンプルだ。
普通に生活しよう。
普通に食べ、普通に風呂に入り、普通に買い物をし、普通に仕事をする。
いずれ彼らはまた家を立て、商売をはじめ、学校に通うようになる。それまで、僕たちは普通に生きる。特別なことは何ひとつない。それでいいのだ。それだけでいいんだ。
最後に二つ。
関東、東海の沿岸に住む方へ。
このブログは、おそらく数十人程度の人の目にしか触れない。
でも、その中に1人でも関東、東海の沿岸に住む方人がいたら、覚えておいてください。
東海地震は、確率的にはもういつ来てもおかしくはない。もしも大きな地震が来たら、何も考えなくていいです。ただ、ただ逃げてください。
何度も何度も、飽きるほど津波の映像を見たことでしょう。でも、違います。それは違います。
4階建て、5階建てのビルを丸呑みする津波とは、そういうことではないのです。
どうか、どうか逃げてください。
そしてもう一つ。
ありきたりの応援の言葉など、口にしたくはない。
でも言う。
生き残ることが出来た皆さん。
どうか、どうか頑張ってください。
どうか、生きてください。
僕の話は、これで、おしまいです。