そのメールの内容は、思いがけなくもあり、しかし何時かは来ることに気を揉み、また待ちわびていたものだった。


「4月半ばに再婚します。だから養育費は、もういただきません。5月の振り込み予定の回で、最後にします。」


その携帯メールには、小学生になった子供の写真が添付されていた。

私にとっての子供の記憶は、彼が2歳半の時に止まっている。それは、彼女から「新しく付き合っている人がいるから、その人を父親と認識していけるように、もう子供とは会わないで欲しい」と伝えられた前後のことだ。
月に一度の子供と会う日に、八景島シーパラダイスでイルカのショーを一緒に見たこと、家のそばの喫茶店に入り、店員からもらったミカンを手に「大きいねぇ」と彼が言った言葉、そして最後に私の実家に連れて帰ったときに、私を探して「パパは?」と母に尋ねた言葉、私の彼に対する記憶は、そのあたりで終わっている。

添付写真の彼は、すっかりと大きくなり、言われなければ彼であると私自身が見落としてしまいそうだった。

子供と会わなくなった私にとって、毎月の養育費の銀行口座への支払と、支払が終わった旨の私から彼女への連絡、それに対する彼女からのメール、これが彼らとかつて繋がっていたことの、唯一の確認の時間だった。

前にもここで書いたかもしれないが、私は彼女と出会い、10年近い一緒の時を過ごすことが出来たことを、いまでも心から感謝している。今となって、彼女が私との時間をポジティブに捉えているのか、あるいはネガティブに捉えているのかは確認のしようもないし、また確認をするつもりもない。いまさら別にそれは、どちらでもいいことだ。

私は彼女に随分と不愉快な思いもさせられた。だからこそ結果として離婚している。しかし一方で、随分とたくさんの楽しい時間を持たせてもらった。そして彼女との離婚を通じて、私は随分とたくさんのことを学ばせてもらった。その経験がなければ、今の私の再度の結婚と、その後の生活はおそらくない。子供なんていらないと思っていた私に、子供を持つことの喜びを教えてくれたのも彼女と彼だ。だから今、双子の子供が出来た時に「大変だなぁ」と思いつつ、心から嬉しかった。

養育費の支払というわずかな繋がりで保たれていた、あの日々と私とのつながりは、5月の養育費支払とともに途切れてしまうのだろう。


そしてその支払は、明日の予定だ。


それは、正直な私の心として、とても悲しい。
そして、とても嬉しい。

私を悩ませ、私に幸せをくれた彼女と彼が、新しい人生にこれで本当に踏み出すことができ、そしてそれが幸せなのであれば、私はやっと肩の荷を降ろせる。私は、今ある愛しい妻と子供たちとの人生のために、改めて歩いていける。

これでいい。

戻らぬ日々を想うことは悪いことではない。しかし、巻かれてしまったオルゴールの螺子は、尽きるまで音楽を奏でなければ止めることはできない。

それでいい。

ただ、その奏でる音楽が美しくありさえすれば、それでいい。

さよなら、ただ、ただ、ただ、ただ、愛しき日々よ。
ずっと忘れないだろう、僕は君を。
二度と戻らぬ日々よ、ありがとう。