2月8日の朝日4面に、伊吹幹事長の短いインタビューがひっそりと載っていた。要約すれば単純な話だ。
「ガソリンの暫定税率の問題は、道路の問題ではなく地方自治の財政問題だ。暫定税率をやめればそれに代わる財源を見つけなければならない。それが出来なければ、道路の雪かきや補修、通学路の安全確保、開かずの踏み切り問題は解消しない。」
道路の雪かきや補修、通学路の安全確保、開かずの踏み切り問題は確かに重要だ。雪国に住んだことはないので雪かきのことはわからないが、それ以外のことが重要ではないとは全く思わない。思わないがしかし、暫定税率が維持されればそれらは解決の方向に向かうというコメントは正しいのか。可能性の問題としては、確かにそうかもしれないが、それでも私は思う。
伊吹幹事長は、ウソをついている。
雪かきに金がかかる事は確かにそうかもしれない。しかし、国道の除雪は国が行うのはあたりまえとして、管轄が書面上地方自治体に変わる部分から先は単なる一本道にも関わらず、一切除雪せずに除雪車は回れ右で知らん顔というような縦割り行政が変わらない限り、本質的には雪国の除雪事情は好転しない。
道路の補修は大切だが、予算消化のために懇意の土建屋にお金をプレゼントし、選挙の際の便宜を図ってもらう段取りをするための、単に道路の強度を落とすだけのゴミのような道路工事がなくならないかぎり、道路の整備費用は適正化されない。
開かずの踏み切りは解消されるべきだが、たとえば小田急のように理由もわからず自治体側が膨大な費用負担(無論税金)をし、裏を疑いたくなるような金の使われ方では話に正当性が見えない。
通学路の安全確保はそもそも道路の問題ではない。
暫定税率による税収対象者は、自動車の利用者のみだ。もちろんバスなどの公共交通を利用しても、間接的には暫定税率の影響を受けていることになるのだが、大きくは自家用車利用者。受益者負担の原則で言えば、一般財源化はありえない。それ以前に、あくまでも道路整備関連事業を強化するために存在した暫定税率なのだから、必要がないのであれば消えるのみで、他財源への移譲など意味がわからない。一旦消してしまえば復活はしにくく、また別立て予算も取りにくいのは確かだし現実的にはわからなくものないが、建前としてはなんの有効性もない。
翌9日の1面で、市町村の首長の大半から暫定税率維持の署名が集まったという国交省のコメントが出ていたが、これだけ地方財源が減らされている中で、果たしてそれはフェアな意見集約といえるのか。
暫定税率というものが生まれ、続いてきたことそのものを否定するつもりはない。それはだれもがそうだろう。焼け野原からの復興に、国土の基幹整備として道路の問題は重要であったことは当然のことながら疑いようもない。しかし建運協定にもあるとおり、道路整備は都市開発と一体化され、道路特定財源は土建全般へと際限なくその利用方法を広げてきた。
国家再建のため、大動脈である道路とそれに伴う土建事業を整備し、またそこから雇用と雇用拡大による需要拡大が必要であったことも確かだろう。だがしかし、その題目を免罪符とした、公共事業への税金投入による雇用と雇用拡大による需要を拡大し、そこで発生した利益を税収としてまた回収、再び公共事業への税金投入という自転車操業のような拡大再生産は、高度経済成長の終焉とともに成り立たなくなったこともまた確かだ。
作るべきものが作られてしまい、あとは補修と無駄なばら撒きによる不要な箱物が垂れ流された。
土建屋が公共事業という収益性の高い甘い汁に飛びつき、地方の支持者はオラの村にも立派な道路と橋を作ってくれという浅ましい田舎根性でそれに追随し、為政者は集票マシーン育成のために金をばら撒く。膨れるだけ膨れた土建国家とその腰巾着は、雲行きが怪しくなれば大量に抱えていた出稼ぎ労働者達をゴミ同然に切り捨てた。危険と薄給の元で、日本の成長を最底辺で支えつづけてきた功労者達を。そのなれの果てが、毎年冬の寒さを乗り切れずに震えながら新宿のゴミ捨て場で寿命を終えていく。
私の話は、ある一面的なものの書き方をしている。随分と地方に対して失礼な物言いもあったものだとも思える。しかしたとえ一面的であれ、それが土建国家の限界を超えてまでその甘味にしがみついてきたこの国の一面であることは。疑い様もない。
暫定税率と、その道路特定財源維持は、北海道の信号ひとつないフリーウェイのような道路の横に高速道路をつくる使われ方のために、本当に必要なのか。必要ならば、いくらでも払おう。それは国民の義務だ。ただし、必要でもないのに取るのであれば、殺されてもただの一言も文句もいわない覚悟で頼む。
「ガソリンの暫定税率の問題は、道路の問題ではなく地方自治の財政問題だ。暫定税率をやめればそれに代わる財源を見つけなければならない。それが出来なければ、道路の雪かきや補修、通学路の安全確保、開かずの踏み切り問題は解消しない。」
道路の雪かきや補修、通学路の安全確保、開かずの踏み切り問題は確かに重要だ。雪国に住んだことはないので雪かきのことはわからないが、それ以外のことが重要ではないとは全く思わない。思わないがしかし、暫定税率が維持されればそれらは解決の方向に向かうというコメントは正しいのか。可能性の問題としては、確かにそうかもしれないが、それでも私は思う。
伊吹幹事長は、ウソをついている。
雪かきに金がかかる事は確かにそうかもしれない。しかし、国道の除雪は国が行うのはあたりまえとして、管轄が書面上地方自治体に変わる部分から先は単なる一本道にも関わらず、一切除雪せずに除雪車は回れ右で知らん顔というような縦割り行政が変わらない限り、本質的には雪国の除雪事情は好転しない。
道路の補修は大切だが、予算消化のために懇意の土建屋にお金をプレゼントし、選挙の際の便宜を図ってもらう段取りをするための、単に道路の強度を落とすだけのゴミのような道路工事がなくならないかぎり、道路の整備費用は適正化されない。
開かずの踏み切りは解消されるべきだが、たとえば小田急のように理由もわからず自治体側が膨大な費用負担(無論税金)をし、裏を疑いたくなるような金の使われ方では話に正当性が見えない。
通学路の安全確保はそもそも道路の問題ではない。
暫定税率による税収対象者は、自動車の利用者のみだ。もちろんバスなどの公共交通を利用しても、間接的には暫定税率の影響を受けていることになるのだが、大きくは自家用車利用者。受益者負担の原則で言えば、一般財源化はありえない。それ以前に、あくまでも道路整備関連事業を強化するために存在した暫定税率なのだから、必要がないのであれば消えるのみで、他財源への移譲など意味がわからない。一旦消してしまえば復活はしにくく、また別立て予算も取りにくいのは確かだし現実的にはわからなくものないが、建前としてはなんの有効性もない。
翌9日の1面で、市町村の首長の大半から暫定税率維持の署名が集まったという国交省のコメントが出ていたが、これだけ地方財源が減らされている中で、果たしてそれはフェアな意見集約といえるのか。
暫定税率というものが生まれ、続いてきたことそのものを否定するつもりはない。それはだれもがそうだろう。焼け野原からの復興に、国土の基幹整備として道路の問題は重要であったことは当然のことながら疑いようもない。しかし建運協定にもあるとおり、道路整備は都市開発と一体化され、道路特定財源は土建全般へと際限なくその利用方法を広げてきた。
国家再建のため、大動脈である道路とそれに伴う土建事業を整備し、またそこから雇用と雇用拡大による需要拡大が必要であったことも確かだろう。だがしかし、その題目を免罪符とした、公共事業への税金投入による雇用と雇用拡大による需要を拡大し、そこで発生した利益を税収としてまた回収、再び公共事業への税金投入という自転車操業のような拡大再生産は、高度経済成長の終焉とともに成り立たなくなったこともまた確かだ。
作るべきものが作られてしまい、あとは補修と無駄なばら撒きによる不要な箱物が垂れ流された。
土建屋が公共事業という収益性の高い甘い汁に飛びつき、地方の支持者はオラの村にも立派な道路と橋を作ってくれという浅ましい田舎根性でそれに追随し、為政者は集票マシーン育成のために金をばら撒く。膨れるだけ膨れた土建国家とその腰巾着は、雲行きが怪しくなれば大量に抱えていた出稼ぎ労働者達をゴミ同然に切り捨てた。危険と薄給の元で、日本の成長を最底辺で支えつづけてきた功労者達を。そのなれの果てが、毎年冬の寒さを乗り切れずに震えながら新宿のゴミ捨て場で寿命を終えていく。
私の話は、ある一面的なものの書き方をしている。随分と地方に対して失礼な物言いもあったものだとも思える。しかしたとえ一面的であれ、それが土建国家の限界を超えてまでその甘味にしがみついてきたこの国の一面であることは。疑い様もない。
暫定税率と、その道路特定財源維持は、北海道の信号ひとつないフリーウェイのような道路の横に高速道路をつくる使われ方のために、本当に必要なのか。必要ならば、いくらでも払おう。それは国民の義務だ。ただし、必要でもないのに取るのであれば、殺されてもただの一言も文句もいわない覚悟で頼む。