
23時55分。
今、私を乗せた寝台急行銀河号は、米原駅を出発しました。
横浜着は翌6時過ぎ。京都から7時間少々の道のりです。新幹線に乗れば、わずか2時間半程度。3倍もの時間をかけて、夜行列車は東海道を走ります。
私は、東京から京都まで何度となく車での旅行をしてきました。しかし、その全工程を高速道路で移動したことは、ただの一度もありません。それどころか、大半は一般道での移動でした。このブログでも書いたことがありますが、色々なトラブルが重なって、片道24時間くらいかかるようなこともありました。それでも私は一般道での旅行を続けました。
今日は奈良までの出張でした。午前中は会社で仕事をし、昼過ぎに会社を出て、のぞみのグリーン車をとって車中でも仕事をしていました。出張といえば、朝10時から北海道での打ち合わせのために早朝に家を出て、打ち合わせ後にとんぼ返りで帰京し、15時過ぎには会社の席に座って仕事をしている、そんなことも何度かありました。効率の良いことこの上なしです。
旅行だって、数日しかない休日で合理的に出ようと思えば、やはり新幹線や飛行機を使うべきです。移動の最終的な目的は目的地にたどり着くことですから、合目的にだけ考えれば、いまどき夜行列車など愚の骨頂としか言いようがありません。そのことを否定はしないし、実際に利便性の向上による恩恵を私は十分に受けています。
それでも、夜行列車は日本の線路を走り続けてきました。そんなにも効率が悪いのに。
でも、いいじゃありませんか、それで。
見たことがありますか?
春の夜中、ふと目が覚めると停車していた小さな停車駅で、薄暗いホームの電灯に照らされてひっそりと立つ、満開の夜桜の美しさを。
北陸線を走り続けた後に、日本海に抜けた瞬間に眩しい光と共に眼下に広がる波の煌めきを。
漆黒の車窓の向こうをぼんやりと見つめる時間の、豊穣な深さ。
これからの旅に思いを馳せながら列車に揺られる、そのもどかしい時間の心地よさ。
その昔、夜行列車は人々の夢と失意を乗せて山々の間を走り、波打ち際を走り抜けていました。いま、新幹線は何を乗せて走るのか。
私の愛しい子供たち。
その昔、夜行列車というものが、夜の静寂のなかを走り続けていたました。
君たちにも知ってほしい。
限りある時間と人生のなかで、けっして効率的ではない時の流れの中に、人はとても大切なことを垣間見る瞬間があるということを。
いつか気が付いて欲しい。
バックスペースキーで文字を消し、そして打ち直すことのできるパソコンではなく、鉛筆で一文字づつ、ゆっくりと、丁寧に書いた手紙でしか伝えられないことがあるように、大海にたどり着いた落ち葉には、ひっそりと流れる川の流れに漂う長い時間があったように、慌しく時を拾うだけの手続きと、急ぎ足の結論からだけでは、人は決してその先を見つめることができないということを。
夜を行く寝台列車がなくなったところで、別に誰も困りはしないかもしれません。でも、また一つ、私たちは手の隙間から大切な時をすべり落としてしまいます。それをノスタルジーと言う事は簡単ですし、またおそらく半分は確かにノスタルジーに違いありません。でもその残り半分は、私たちが生きていくための大切な種の、ある一つの姿だっただろうと思います。
大袈裟なことは何もありません。人生は、そういう細かな大切なものたちの積み重ねで作られていくのです。
さようなら、銀河。
君に乗ることは、これが最後でしょう。
おつかれさまでした。
そして、どうもありがとう。