だいぶ前ですが、読み終わりました。
内容が軽いので、通勤と仕事の移動中だけでもあっという間。
まあ、ごく個人的にどうだったかと感想を求められれば、「別に」というところですかね。
物語らしい物語はなく、ほとんどキリスト教話裏話や暗号の解読だけで話を進行させていて、こんなもんを小説と言っていいのかすらよくわからん。そういう意味では、ひどい駄作。
と、いうのは、繰り返すようですが一読者としての個人的な感想。
しかし、下巻の巻末で荒俣コリャマタ先生が言うじゃないですか。色々な人がキリスト教の一面的な理解から抜け出して、宗教のもつ歴史の裏側みたいなことに興味を持ってくれれば、なんて殊勝なことを。
小説の中でも金持ちのデブが言うじゃないですか。「歴史は常に勝者によって書かれる」。
むかーしこのブログで書きましたかね、歴史ってなんじゃろ、って。
別に宗教でも歴史でもなんでもいいのですが、物事にはそれに関わった状況や人が1000あれば、1000の側面があるわけです。
そのことをすっ飛ばして、一面的な「そういうふうに教わったから」「そういうもんだと思ってたから」という単純なすりこみから外れて物事考え直すという発想をもつための一つの契機にこの本がなれば面白い、という考え方もありますよね。
意外な発想から、意外な結論を導き出して、意外な驚きが生まれることは楽しいことです。
でも、宗教が権力闘争の道具だったり、中と表では話がちがうとか、そんなんは古今東西どこにでもある話で、そんな話を読まされて、そういうこと自体にいい大人が感心するのはどうかと思いますけど。
内容が軽いので、通勤と仕事の移動中だけでもあっという間。
まあ、ごく個人的にどうだったかと感想を求められれば、「別に」というところですかね。
物語らしい物語はなく、ほとんどキリスト教話裏話や暗号の解読だけで話を進行させていて、こんなもんを小説と言っていいのかすらよくわからん。そういう意味では、ひどい駄作。
と、いうのは、繰り返すようですが一読者としての個人的な感想。
しかし、下巻の巻末で荒俣コリャマタ先生が言うじゃないですか。色々な人がキリスト教の一面的な理解から抜け出して、宗教のもつ歴史の裏側みたいなことに興味を持ってくれれば、なんて殊勝なことを。
小説の中でも金持ちのデブが言うじゃないですか。「歴史は常に勝者によって書かれる」。
むかーしこのブログで書きましたかね、歴史ってなんじゃろ、って。
別に宗教でも歴史でもなんでもいいのですが、物事にはそれに関わった状況や人が1000あれば、1000の側面があるわけです。
そのことをすっ飛ばして、一面的な「そういうふうに教わったから」「そういうもんだと思ってたから」という単純なすりこみから外れて物事考え直すという発想をもつための一つの契機にこの本がなれば面白い、という考え方もありますよね。
意外な発想から、意外な結論を導き出して、意外な驚きが生まれることは楽しいことです。
でも、宗教が権力闘争の道具だったり、中と表では話がちがうとか、そんなんは古今東西どこにでもある話で、そんな話を読まされて、そういうこと自体にいい大人が感心するのはどうかと思いますけど。