私は行ってません。行きたいです。

しかし人気のトヨタ館なんて、1日がかりで並ばないと見られないって話しじゃないですか。愛知までわざわざ行って、そんなの嫌だよー。

まあ、でもパビリオンも見たいのは当然そうなのですが、雰囲気を見たいんですよね。

1970年に大阪万博が開催されました。

「人類の、進歩と調和」

1960年代、公害などの歪みは出つつも、輝ける科学の進歩が素晴らしい未来と夢のような生活をもたらしてくれると、高度成長の熱気の中で、時代はまだ素朴に信じていられたように思います。

その意味で、大阪万博は夢だったのだろうと思います。
月の石に、未来を感じ取っていたんですよね。ああ、これが未来なんだ、って。月の石というものそのものが、未来とか科学とか進歩のメタファーになれてたんでしょうね。

それから、そのころのデザインって、やっぱり非現実的でありつつも視線が未来に向かって素直に伸びてました。いまでもあのころのデザインって憧れます。

憧れの空を飛ぶ車
雲に届かんばかりの高層ビル
快適な宇宙ステーションでの暮らし
1000人乗れる超音速旅客機
目にも留まらないリニアモーターカー

あこがれの未来のデザインに、僕たちはいつも目を奪われていました。

限りない利便性と、こころ踊るデザイン。21世紀にはそんな未来が来ると、素朴に信じていましたよ。でも、それは嘘だということが、1980年代も半ばくらいから段々とバレてきたんだと思います。

唐突ですけど、例えばライト兄弟が初めて飛行機で空を飛んだり、電話という筒の向こうから声が聞こえる魔法の機械が発明されたり、ただの回転する塊から音がするレコーダーが生まれたり、そういう時代は全てが初めてで、科学の発展とか未来とかいうものが分かりやすかったんですよね。たぶん1960年代くらいまでは、まだ科学がそういう分かりやすさを持っていたんだろうと思います。

それが、技術的には凄いことでも、分かりやすく見栄えのする科学が息を潜めてきたのが1970年代くらいからなんじゃないでしょうか。現在はもっと分かりにくいというか、感動しにくいですよね。
たとえば、ビデオがDVDに置き換わっても、技術者と、それが凄いことと分かる一部の消費者以外は別に感動はしませんよねえ。白黒テレビがカラーに変わるくらいのインパクトは、家庭用テレビが立体画像に置き換わるくらいのことが必要なんじゃないでしょうか。

余談ですが、実は月の石って今回も出品されているらしんですね。で、このあいだ愛知万博の取材のテレビを見ていたら、そのことについて親子連れにインタビューをしていました。
お父さん曰く「子供の頃に見た月の石がまた見られて、すごく感慨深いです。宇宙のものが目の前にあるんですよねー」。
子供曰く「いや、別に石って感じ?」

そこから科学や未来や進歩というメタファーを読み取るような想像力を引き釣り出す力が、月の石にはないんですね、もう。それを想像できるような体験も子供はしていない・・・のか?。スペースシャトルは確かに打ち上げてますが、日常行事になっているんでしょうか?


ということで、結局21世紀になっても、こころ踊るデザインを身にまとった憧れの空を飛ぶ車も、雲に届かんばかりの高層ビルも、快適な宇宙ステーションでの暮らしも、1000人乗れる超音速の旅客機も、目にも留まらないリニアモーターカーも、ひとつも僕らの前には現われませんでした。

いま子供達は愛知万博に何を思うのでしょうね。私はその様子が見てみたいんです。

愛知万博、行きたいなー・・・。
でも9月なんて期末に休めない・・・。
夏休み・・・。