海老沢会長は、「責任をとる」ために辞める必要があったんですかね、本当に。
あるいは、予算を決めてから辞めることに対する「遅すぎ」「おまえが予算を決めるな」という批判は妥当なんですかね。
ちなみに私は受信料は払ってません。単純な話として、選択権のない無差別送信のものに一律の料金をとるという発想自体は間違えでしょう。なんだかんだいっても実体は国営放送だし。
でも、本当は払いたい。だって、日本で一番レベルの高い放送局だもん。そりゃお笑いとかバラエティやらせたら民放にはかなわんだろうけど、環境さえ揃えればいくらでもできるでしょ(もっともその環境がNHKにそろうことはあり得ないと思うけど・・・)。根本的なポテンシャルがちがうのよ、NHKと民放じゃ。国際的な信頼もね。シリーズもののNHKスペシャルみたいな番組、民放が作れるか?NHKスペシャルにも質の良し悪しはあるけど、あんなもん逆立ちしたって民放で作れんでしょ。
閑話休題。
「責任をとる」ということを皆さんはどう考えますか。
首にすることや辞任することが責任をとることになるのか?
それは「責任を取る」ではないでしょう。周囲の感情的になってしまった気分を抑えるための、単なる対症療法。逆に言えば、やめときゃ大衆は馬鹿だから溜飲を落としてくれるだろうくらいに思われていて、そしてまんまとその通りだったりするというのが実際じゃないでしょうか。
責任を取るというのはそういうことじゃないでしょう。
「自分の行なった行為に対して、結果としておこり得る事態を引き受け、その対処のために最大限の誠意をもって努力をする覚悟を持つこと」
責任を取るとはそういうことだと思うよ。その意味では、「辞める」というのは最大の責任放棄です。なんか政治家やらなんやら槍玉にあがりやすい人が不祥事起こすと、「なんでもいいからとにかく辞任しやがれ」の大合唱になりますが、それで辞めたからといって大衆感情的に気分が収まるという以外の何か合理的かつ論理的なメリットってあるんですか?
責任を取ることと、やめることが同義だと思う大衆感情にはウンザリ。
余談みたいだけど、私は賄賂とか汚職とか、ケースバイケースでアリだと思ってます。政治にもっとも求められるのは品行方正さではなく、現実的な政治問題を、如何に最良に近い形で具体的に実現させられるか、ではないですか?問題解決のアプローチは色々あるわけじゃないですか。結果が出せるか否か。オリンピックじゃないんだから、参加することなんかに意義はありません、結果が全て。極論いえば、結果の出せなかった政治家なんて日本から追放されたって文句言えない。現実的にはそんなことはないけれど、それくらいの覚悟と緊張感が必要なんじゃないですか。1億2千万人の人生と、その子孫の運命を背負うわけですから。
品行方正で無能な政治家と、素行は悪いが抜群の政治解決能力がある政治家がいたら、国家に必要な人はどっち?無能はいらないけれど、たぶん品行方正と裏技使いと、どっちも必要なんですよ。バランスだと思います。
あたりまえですが、正論で動くほど世の中は幼く出来ていないでしょう。正論いうだけなら子供の学級会でもできる。ただ、あんまり手段に走りすぎると、本来的な原則やルールや規範がわかんなくなるから、対抗勢力として正論吐くのも必要。日共(日本共産党)や社民党なんかは、そういう意味では存在している価値があるんだな、と思います。政権なんかとられたら国が滅びるから困るけど。
偉そうですか?
ええ、いいんです、偉そうにしてるんですから。このブログのサブタイトルは「そこに知性があるならば、罵詈雑言も珠玉の言葉」ですから。
でもって話をもどすと、新しく会長になった人は技術屋あがりとのこと。いろいろな理由はあったでしょうが、政治的なやり取りから遠そうな技術畑の人を据えれば、余計な非難のネタを少しは回避できるだろう、という魂胆はみえみえ(現実的には海老沢選手とのつながりは深いそうですが)。でも、そんな対処のされかたしちゃうわけですよ、「なんでもいいから辞めろ」と言うしか能がないと思われている大衆は。
現場レベルでの不祥事を事細かに会長レベルで責めても意味がないでしょう。もちろん知っていて放置するのはイカンし、あるいは知った後の対応について、海老沢会長を含めNHKが好ましくない態度をあちこちでとったことも確かでしょう。
じゃあ、辞めりゃいいのかよ。
テメエのケツはテメエで拭いて、それから潔く去る。原則的にはそれでいいんじゃないの?
もちろん、後の奴らに好き勝手やられてたまるか、オレが目を光らせた予算や改善方針や人事じゃなきゃ辞めるに辞め切れん!みたいなこともあったかもしれないよ。結局は院政じゃんていう話もあるよ。
でもさ、わかんないじゃん、そんなの。
具体的に予算やら改善方針やら読ませてもらえるわけでもないんだから。でもって、わかんないのに、判断する材料そろってないのに、それでも「辞めるの遅い」しか言えないその想像力の貧困ってなんなわけ?
政治癒着?まあ国営放送ですから。そりゃある程度そういう部分もあるでしょう。ていうか、そのことで番組提供される側にはデメリットしかないんですか?メリットがある可能性って考えたことあります?今回のことって、本質的にNHKという放送局にとってどういうことなんですかなんか?
なにかあるとすぐ「不祥事」といわれますけど、不祥事という修飾語なんかどうでもよくて、その起きた事態が本質的になにを表しているのか問題なんじゃないですか?一般的に不祥事と言う言葉で形容できることは、全部が一律同じ価値としての不祥事じゃないでしょう。不祥事という分かりやすい修飾語がつくと、どうしてネガティブな部分しか見えなくなるんですか?
表もあれば、裏もある。なにかを得るためには、なにかを失わなければならない。すべてはトレードの関係。そのバランスをどう取るのか、一番高いレベルの妥協点が何処か探ること、それが知恵でしょう?
NHKがいいとは言わない。
でもダメとも言わない。ダメだと言いきれるほど、海老沢会長が論外だと言いきれるほど、わたしはNHKを深くは知らない。
言えることは、それでもNHKという放送局が良質な番組を提供していることには変わりない、ということ。まあ、NHKエンタープライズ21やら製作会社が優秀という話もあるかも知れないが。得てして放送局なんてロクに仕事しないんだから。
まあ、しかしマスコミとしては体のいいスケープゴートだよな。なにしろNHKだし。
しかし、幾らなんでも度を越えて馬鹿はこまるぜ。先週の週間プレイボーイなんか、なんかもう馬鹿すぎてムカついて暴れそう。公共の電波をあつかう放送局の倫理だと?出版だっておなじでしょ。今すぐあんな雑誌廃刊にしろ。二度と社会の日の当たるところに出てくるな。
最後に言っておきますが、NHKを弁護するつもりは毛頭ないので。そんな話しがしたいんじゃない。こういう話すると、必ずいるんだよ「なんでNHKを弁護するの?」って聞くヤツ。たのむよ。
あるいは、予算を決めてから辞めることに対する「遅すぎ」「おまえが予算を決めるな」という批判は妥当なんですかね。
ちなみに私は受信料は払ってません。単純な話として、選択権のない無差別送信のものに一律の料金をとるという発想自体は間違えでしょう。なんだかんだいっても実体は国営放送だし。
でも、本当は払いたい。だって、日本で一番レベルの高い放送局だもん。そりゃお笑いとかバラエティやらせたら民放にはかなわんだろうけど、環境さえ揃えればいくらでもできるでしょ(もっともその環境がNHKにそろうことはあり得ないと思うけど・・・)。根本的なポテンシャルがちがうのよ、NHKと民放じゃ。国際的な信頼もね。シリーズもののNHKスペシャルみたいな番組、民放が作れるか?NHKスペシャルにも質の良し悪しはあるけど、あんなもん逆立ちしたって民放で作れんでしょ。
閑話休題。
「責任をとる」ということを皆さんはどう考えますか。
首にすることや辞任することが責任をとることになるのか?
それは「責任を取る」ではないでしょう。周囲の感情的になってしまった気分を抑えるための、単なる対症療法。逆に言えば、やめときゃ大衆は馬鹿だから溜飲を落としてくれるだろうくらいに思われていて、そしてまんまとその通りだったりするというのが実際じゃないでしょうか。
責任を取るというのはそういうことじゃないでしょう。
「自分の行なった行為に対して、結果としておこり得る事態を引き受け、その対処のために最大限の誠意をもって努力をする覚悟を持つこと」
責任を取るとはそういうことだと思うよ。その意味では、「辞める」というのは最大の責任放棄です。なんか政治家やらなんやら槍玉にあがりやすい人が不祥事起こすと、「なんでもいいからとにかく辞任しやがれ」の大合唱になりますが、それで辞めたからといって大衆感情的に気分が収まるという以外の何か合理的かつ論理的なメリットってあるんですか?
責任を取ることと、やめることが同義だと思う大衆感情にはウンザリ。
余談みたいだけど、私は賄賂とか汚職とか、ケースバイケースでアリだと思ってます。政治にもっとも求められるのは品行方正さではなく、現実的な政治問題を、如何に最良に近い形で具体的に実現させられるか、ではないですか?問題解決のアプローチは色々あるわけじゃないですか。結果が出せるか否か。オリンピックじゃないんだから、参加することなんかに意義はありません、結果が全て。極論いえば、結果の出せなかった政治家なんて日本から追放されたって文句言えない。現実的にはそんなことはないけれど、それくらいの覚悟と緊張感が必要なんじゃないですか。1億2千万人の人生と、その子孫の運命を背負うわけですから。
品行方正で無能な政治家と、素行は悪いが抜群の政治解決能力がある政治家がいたら、国家に必要な人はどっち?無能はいらないけれど、たぶん品行方正と裏技使いと、どっちも必要なんですよ。バランスだと思います。
あたりまえですが、正論で動くほど世の中は幼く出来ていないでしょう。正論いうだけなら子供の学級会でもできる。ただ、あんまり手段に走りすぎると、本来的な原則やルールや規範がわかんなくなるから、対抗勢力として正論吐くのも必要。日共(日本共産党)や社民党なんかは、そういう意味では存在している価値があるんだな、と思います。政権なんかとられたら国が滅びるから困るけど。
偉そうですか?
ええ、いいんです、偉そうにしてるんですから。このブログのサブタイトルは「そこに知性があるならば、罵詈雑言も珠玉の言葉」ですから。
でもって話をもどすと、新しく会長になった人は技術屋あがりとのこと。いろいろな理由はあったでしょうが、政治的なやり取りから遠そうな技術畑の人を据えれば、余計な非難のネタを少しは回避できるだろう、という魂胆はみえみえ(現実的には海老沢選手とのつながりは深いそうですが)。でも、そんな対処のされかたしちゃうわけですよ、「なんでもいいから辞めろ」と言うしか能がないと思われている大衆は。
現場レベルでの不祥事を事細かに会長レベルで責めても意味がないでしょう。もちろん知っていて放置するのはイカンし、あるいは知った後の対応について、海老沢会長を含めNHKが好ましくない態度をあちこちでとったことも確かでしょう。
じゃあ、辞めりゃいいのかよ。
テメエのケツはテメエで拭いて、それから潔く去る。原則的にはそれでいいんじゃないの?
もちろん、後の奴らに好き勝手やられてたまるか、オレが目を光らせた予算や改善方針や人事じゃなきゃ辞めるに辞め切れん!みたいなこともあったかもしれないよ。結局は院政じゃんていう話もあるよ。
でもさ、わかんないじゃん、そんなの。
具体的に予算やら改善方針やら読ませてもらえるわけでもないんだから。でもって、わかんないのに、判断する材料そろってないのに、それでも「辞めるの遅い」しか言えないその想像力の貧困ってなんなわけ?
政治癒着?まあ国営放送ですから。そりゃある程度そういう部分もあるでしょう。ていうか、そのことで番組提供される側にはデメリットしかないんですか?メリットがある可能性って考えたことあります?今回のことって、本質的にNHKという放送局にとってどういうことなんですかなんか?
なにかあるとすぐ「不祥事」といわれますけど、不祥事という修飾語なんかどうでもよくて、その起きた事態が本質的になにを表しているのか問題なんじゃないですか?一般的に不祥事と言う言葉で形容できることは、全部が一律同じ価値としての不祥事じゃないでしょう。不祥事という分かりやすい修飾語がつくと、どうしてネガティブな部分しか見えなくなるんですか?
表もあれば、裏もある。なにかを得るためには、なにかを失わなければならない。すべてはトレードの関係。そのバランスをどう取るのか、一番高いレベルの妥協点が何処か探ること、それが知恵でしょう?
NHKがいいとは言わない。
でもダメとも言わない。ダメだと言いきれるほど、海老沢会長が論外だと言いきれるほど、わたしはNHKを深くは知らない。
言えることは、それでもNHKという放送局が良質な番組を提供していることには変わりない、ということ。まあ、NHKエンタープライズ21やら製作会社が優秀という話もあるかも知れないが。得てして放送局なんてロクに仕事しないんだから。
まあ、しかしマスコミとしては体のいいスケープゴートだよな。なにしろNHKだし。
しかし、幾らなんでも度を越えて馬鹿はこまるぜ。先週の週間プレイボーイなんか、なんかもう馬鹿すぎてムカついて暴れそう。公共の電波をあつかう放送局の倫理だと?出版だっておなじでしょ。今すぐあんな雑誌廃刊にしろ。二度と社会の日の当たるところに出てくるな。
最後に言っておきますが、NHKを弁護するつもりは毛頭ないので。そんな話しがしたいんじゃない。こういう話すると、必ずいるんだよ「なんでNHKを弁護するの?」って聞くヤツ。たのむよ。