それから60年が経とうとしています。
それはどういうことなのでしょう。いや、太平洋戦争について語りたいわけではありません。それから60年という月日が経とうとしているという厳然たる事実が、私には良くわからないのです。



1945年、ポツダム宣言の受諾により日本敗戦。

1952年、サンフランシスコ講和条約が発効、日本独立。

1964年、焼け野原から立ち上がった東京で、オリンピックが開催。

1969年、東京大学安田講堂が陥落。

同1969年、アポロ11号が月面「静かの海」に着陸(たぶん・・・)

1971年、そして私が生まれました。



いまから15年ほど前に、同居していた父方の祖母が亡くなりました。正確には忘れましたが明治の最後期の生まれでしたから、1910年あたりの生まれのはずです。


昭和という時代は、昭和天皇の崩御により64年でその幕を閉じました。そして平成が始まります。
当時高校3年生だった私は、ある日に部活の友達の家に数名でたむろし、酒を飲んで翌日に目が覚めたら昭和が終わっていました。

しかし、ピンとこないんですね。
確かに昭和から平成に元号が変わり、ある一つの時代が終わったはずなのですが、どうもよくわからない。
まあ、あたりまえといえばあたりまえでしょうか。別に元号が変わったところで、今日も明日も地獄のような部活の練習は毎日やってくるし、昼休みは学校を抜け出して、溜まり場の喫茶店でいつものカレーを食べながらタバコを吸う生活が変わるわけでもなし。



歴史って、なんでしょう。
また、ずいぶんと突拍子もない話ですが・・・

教科書の歴史年表にのっていますね、歴史は。でも、そんなもんでしょうか、歴史って。
確かに1945年に日本は戦争に負けました。それは歴史的な事実です。しかし、1945年に日本が戦争に負けたことが歴史なのではありませんよね。
昭和天皇の終戦の詔書がラジオに流れたとき、その放送を聴いた1億の日本国民は、皆同じように頭を垂れたのでしょうか。

違うはずです。

それぞれの人生と、それとは少し違う時間と世界を生きた家族それぞれの人生と、それを取り巻くその人のものでしかない世界と、そういう細い細い一本の糸が、幾重にも絡まりながら、前後しながら大きな太い紐になったそのある一つの断面が、1945年の終戦という出来事だったはずです。
日本だけの視点で見ても、終戦という歴史の断面には1億本の絡み合った糸の断面があるのです。
その絶え間ない繋がりが、それが歴史ですよね。


私は、祖母が亡くなるだいぶ前から、或る事が不思議で仕方がありませんでした。
私と祖母は、全く別の時に、別の場所に生まれ、全く別の人生を送りました。だから私は祖母が二十歳だった時を知りません。
それなのに、一方でそういった2人が、全く同じ時間と空間を共有して生きている。同じ時と空間を共有していない2人が、でも同じ時と空間を共有しながら同時に生きている。そのことが私には不可解で仕方がありませんでした。


1989年、昭和が終わりました。

そして2年後、祖母が亡くなりました。
私はそのとき、なんと言ってたとえてよいか分からない焦燥感に襲われました。
祖母は昭和が始まった時に、すでに20歳くらいでした。つまり、自分で感じたことを、自分で考え、そして生きていくことの出来る年齢だったということです。
祖母が亡くなった頃、それよりも古い世代はすでに大半がこの世にはおらず、あるいは生きていてもまともな状態ではなく、昭和の終わりを語ることができません。
それよりも新しい世代は、逆に昭和の最初を語ることが出来ません。

つまりそれは、祖母の世代が昭和という一つの時代を最初から最後まで自分の言葉で語りつくすことの出来る、唯一の世代だったということです。


「ああ、昭和が本当に終わってしまった」


私はその事実に気がついた時の驚きと焦りをよく覚えています。
同じ時と空間を共有していない2人が、同じ時と空間を共有しながら同時に生きていることの不思議と違和感。
私のその感覚を消化するために、祖母が生き抜いた昭和という64年間の時代がなんだったのか知り、自分の時間感覚や、時代感覚とすり合わせてみることが、何かのヒントになったかもしれません。しかし、それを最早生きた言葉として聞くことが出来ない。
それは忘れられない感触でした。


1971年
昭和46年

それが私の生まれた時。

母に抱かれる赤ん坊の頃の自分の写真を見る。

私は、私の少年時代が過ぎ去ってしまったということに、愕然とする。

時が過ぎるとはどういうことなのだろう。
私は、それだけが知りたい。