「国民の義務」だそうです。


本当にそうか?


昔は「国民の義務」だと思っていました。
選挙に行って投票することは、一般国民にとっては具体的かつ、ほっといても行政がお膳立てしてくれる数少ない参政権の行使の機会です。それは確か。
「投票しない」ということは、その後の政治運営について一切の意見をする権利を放棄したということと同義です。
だから、選挙にも行かないで文句だけ偉そうに垂れる馬鹿が大嫌いでした。

ということで、わたしは確実に選挙に出向き、もしもどうしても投票用紙に書きたい政党や立候補者がいない場合は、「該当政党なし」「該当者なし」と書いて、事実上の白紙投票を行なっていました。


が・・・

前から思ってはいましたが、そもそも選挙権が20歳を過ぎたら勝手に付与されるなんて、おかしくねーか?
車の運転だって、事故のリスクがあるからこそ然るべき試験を受け、合格したら晴れてドライバーになれるのに、なんで選挙権は無制限?

そもそも政治家を選ぶということは、その立候補者なり政党なりの政策を理解することが大前提ですよね。
であれば、現状の政治情勢、経済情勢、国際情勢についての十分な知識を持ち、かつその理解をしていなければ出来ないはず。

要は「選挙権を行使するということは、実際の為政者に近い知識と判断力を求められる行為」だということです。
というか、そうであるべきですよね。

でも実際は知識面では為政者と同等レベルにはなりようもない(というか、なってたらセキュリティー的にマズイよな)。

であれば、知識が少々足りなくとも(最低限の知識はあるとて)、その為政者の言葉を聴けば、そこに隠されている真意や嘘や、思考の深さ、浅さを察知できるだけの「知性」が必要ということでしょう。

でなければ、選挙なんて単なる思い付きだったり、なんか人気あるタレントだからとか、ズバズバ物を言うから凄いに違いない(その発言内容が妥当かどうかという論理的な判断はともかく)、みたいないい加減な理由で決まってしまう。

いいのか?そんなことで日本という国家の運命を決めて。


・・・ということで、選挙権を得るための試験制度の導入を激しく希望します。


そんな微妙な合否の判断を誰がするんだ、という話はありますし、自分自身が不合格かもしれないが、それでも選ばれた者のみが選挙権を持つべきでしょう。広い意味での参政権は色々と留保しておいた方がいいけどさ。

ちゅうことで、ここしばらく私は選挙に行ってません。
何故なら、そのような重大な判断をするに足る情報を自分は得ていない、ゆえにその様ないい加減な状況で、国家の運命を決めるような決断に参加するような無責任な態度をとるわけにはいかない、ということ。


次は行きたいなあ・・・