最近、しみじみ思ったことの話。

人は好み(推し)に左右される。
しかし、どこまでも、傷ついても好きで共に生きたいと願えるのは、
それが リヴァイ・アッカーマン だから
😆飛び出すハート飛び出すハート


…いや、これじゃなくて。笑
これは常に思い至ってることやろがぃ😅


今回は、そうじゃなくてね。笑
なんら新情報でもない長文💦

で、まあ、今回のブログも
最終的には『進撃の巨人』を読破しての感想みたいにもなっちゃってるけど。笑

日常で、つらつら、何度も色んなシーンを振り返ることがある。


今回は、昨今、現実の『悪意』に関する情報が溢れすぎてて、なんか?つらい気分になるなぁって話。

動画やニュースでもさ、
『現実はつらく厳しい悪意にまみれてる』『こんなやつ、こんなこと、信じられないことある!』みたいな情報がいっぱい。

先に希望もあるはずと信じよう、
とか、
希望は見出していくもの、
とか付け加えてくれたり、
結果色々考えさせてくれるんならまだいいけどさぁ。

単に悪意の情報として受け取るストレスってのはどうなんやろな〜って。

ただ善意に頼って生きるには、社会は危険すぎる。
それはわかる。

確かに、理解しえない狂気や悪意は存在する。

エレンの真っ平らな自由を求める気持ちも、私にとっては、少しそういう感じ…。

まあ、私は、エレンのは「他人に対する悪意」とはちょっと違うと思うんやけど、
ひとつの「狂気」的な感情かなと。

まあ、これも「悪意」に近く捉えている人もいるかもしれないな。

いろんな「悪意」や「狂気」に対してさ、
なんでこんなことするの?
って疑問から
知りたい、知りたい、って今まで感じてきたんやけど。

昔、『犯罪者の気持ちは理解しなくていい。それは、犯罪を肯定することだから』みたいな文章をどこかで読んだことがあって。

あー、そうなんか!
どうしてもわからんかったけど、無理に理解しなくていいんや!ってそんときは思ったんやけど、
よくよく考えてみると、犯罪者も状況も様々なわけで。

特に『悪意』に関しては、
「知らなければよかった」
「知らない方が幸せじゃなかったのか?」
なんて、ザラにある話。

知りすぎて傷つき、越えようがない壁にもぶつかる。

先に、それがあることだけでも知っておくことで、
それまで楽観的に生きてき過ぎて、
無自覚のうちに現実ひとつにぶつかって
それだけでポキっと折れちゃって詰む、よりかはマシかもしれん…。けど。

どんな悪意が形となり存在するのか、とかも含め、
『知ること』はきっと大切、なんやけど…。

このままじゃ
世界が 将来が しんどくならんか??
更には、もしかしたら、経験する前に あきらめてしまいたくならんか?

ふと。
そういう気がして。

どの善意も信じられなくなり、
あらゆる悪意に怒り、怯えるようになってしまいそうって。
下手すれば、まだ経験していないことにすら。

そしてまた、悪意を捏造しちゃったりとかもない?

「善意がない」だけのことを「悪意」だと捉えてしまったり。
あるかないかもわからん悪意のせいにして、自分の正すべきところを置き去りに、他人に責任を押し付けたり。

いや、これなんか読み違えると「いじめられる側にも責任がある」みたいに聞こえるから、
相手に悪意があろうとなかろうと
自分のためには許せんもんは許したらあかんのやろし、難しいとこやねんけど。

まずそれで自分が楽に生きられるようになるのならそれもいいのかもしれんのやけど、
憎んでも、自身は削れて実りはあんまないやろからなぁ。

世界は 『悪意』に満ちている。

その事実や情報は止められない。
他からの影響を受けやすすぎは危険信号…
それらから
許せないもの、受け取るもの、は自分で選ぶべき。

…ってさ、大人でも難しいやん?

いつやったか、
「もう、知りたいと思わない方が楽なんじゃない?」
と、ふと思うことがあった。


自分が弱いことを知っているなら。


私は人を助けられるほど優しい人間でもないけど、
人が苦しめられていることを楽しめる人間でもない。
他人が悪意を向けられていることにすら弱い。

この気持ちは「善意」ではないけど、
「悪意」に影響されやすい弱い人間ということやろか?


で。
ここからまた『進撃の巨人』の話になるんやけど。

『進撃の巨人』こそ、その世界の残酷さを描いた作品なんじゃないの?って。

いや、確かにそうなんです。
それがなくちゃ、始まらないし、終わらない作品なんやけど💦

まあ、『進撃の巨人』は読む部分にもよるけど、
少なくとも全部読めば悪意たれ流しだけでは終わらないんじゃないかな〜、とは思えるかな。

最終的に、エレンもさ、
単なる狂気や悪意を暴露されて終わり、って感じでもなくなるほど作中で人間らしく育ってくれた。

私が信じたい「人間らしさ」とは、
人は悪意がすべてではないということ。
もちろん個体差はあると思うが。

劇場版「進撃の巨人」完結編が日本で初公開され、
ヒットしてくれたとき、
レビュー評価が高かったあのとき、
心から嬉しかったんよ。思い出すわ。
まだ、心の底の信じたいものを信じててもいいんかなって。

悪意に注意しながら、善意や希望も信じてほしいって
自分は子供達に伝えられるかな?
それは私達大人が示さなくても、子供達は勝手に学んで成長してくれるかな?
それ、ただ信じててもいいんかな?

何事も平和ありき、の話かもしれないが…

せめて、
世界は
社会は
「自己中」で「悪意がすべて」ではないと信じたい。

善も悪もほぼ大多数の人の中に同時に存在している。
割合や程度は違っても。

どうしても あきらめなくてはならないこと。
生まれながら、環境から、経験から、
心身とも越えらない個体差があること。
それは確かに存在する。


こういうとき、
ハンジさんがアルミンに団長を引き継ぐときに言った言葉がよく頭に浮かぶ。


理解することをあきらめない


それが団長、調査兵団の長の資質だと。


知的好奇心があるとかだけじゃなくて。
これよくよく考えてみると
それは、とても強い人なんじゃないか?と思って。
団長は単純に夢見るだけでは済まされない…。


理解しあえることを あきらめない
とは 言ってない。


自分と違う相手を理解できない、もしくは、
理解しようとも思わない、
なんなら誰のことも理解したくない人さえいることを知りながら、
自分は理解することをあきらめない。

この人は自分とは違うからしゃーないって「スルー」するわけでも、
「同調」でも「批判」でもなく。

自ら「理解する」ことを あきらめない。
理解されることがなくても。


いやいやいや。
夢見がちかぁぁー!!!!!
そんなこと、言うてられるかぁぁー!!
めちゃめちゃつらいやろうがーーーーーー
世の中わけわからん奴ばっかやろうがーーー

って、まあ、
調査兵団は、それを自虐ネタにするほど自分達は夢見がちやとわかってて。
あきらめなあかんこともあるって描いておきながら。

それでも、希望からも見捨てられない、つらい、って話なんよ。(*言い過ぎ。😅)


あきらめなくてはならないことはあるし、
あきらめるしかない、と。
そこはあきらめて、
全く他の別ルートで希望を見出していくこともまた建設的やと思うけど。

そんななかで「理解することをあきらめない」。


その場面で希望的な道を選択できなくても、
希望は希望で、どこまでもどこかに存在する。

世界は失望の連続だけど、
失望させられるようなものを理解して
なお
希望を見出す。


無理無理、ど根性理想主義か。

調査兵団、ちょっと荷が重すぎ…?💦


でもさ。
こ〜んな風に
世界は悪意に満ち満ちていて
自分も悪意に流されればいいよ
とか
悪意に傷つくことすら、おかしいの??
とか

それもそうじゃない。
…んじゃない? うん。

善意も 希望も
良くも悪くも
この世界には信じられることもあるんやって
特に子供達には、忘れないでいてほしいなぁって。
思うとこもある。

いつかどこかで誰かが善意をくれるよってぼんやり甘い話ではなく。
調査兵団ほど強くあれっていうんでもなくて、
自分の選択肢として、どこかで逃げてもいいんですけど。もちろん!

その先々で、また希望を見出すことは不可能ではないと信じる力をつけてほしい。

「善意」にしても、私はちゃっちい偽善でも ないよりはある方がいいと思う。
でも、与えることは怖いことやし、善意に偏れとも思わん。

まあ、それでも、気負わずにさ、
できれば、少しでいいから、自分は子供にはそれを信じさせてあげられる側になりたいな…。

難しいことかなぁ?

私の中にも怒りや底しれぬ悪意は確かにある。
でも、もし外に向けて悪意を出したら、
自分の過去に刻んでしまったら、
その後はとんでもなく後悔することになる。
これは、自分の望んでいたことではなかったって。

こんな理想主義、大人も子供も苦しむだけなんかなぁ??
考えすぎかもしれません。笑

『進撃の巨人』はじめ様々な作品で、
こんなこと目指せるほど理想高く生きてゆける強い人間なんかおるかい、
自分が壊れるまでやれってゆうんか、とか、
そもそもこれは現実的ではない、とか。
色々ご意見はあるのでしょうが…。驚き

それを批判したいわけじゃないんやけど💦

なにが どこまで
どの土地で どの文化で どの教育で
このひとつとして同じと言えないバラバラな世界、
個人の集まりで
「本当に現実的」なのか…?

残酷であることこそが正しいと主張するなら。
漫画などの創作も、希望や甘さを残す展開で完結すべきではないとするなら。

それは「現に自分が満足に幸せを感じられていないから」という理由ではなく、
自分の残酷性の捌け口にしたい願望とか
好奇心で「残酷」を読みたかった、とか
そういう話でもないなら。


世界がどれだけ残酷なら、納得できる?

本当に、そんな残酷だけが蔓延している世界が真実の姿で、それが全人類にとっていいと言い切れる?

全知全能の神が殲滅を望むほど人間は本当に末期か?

って、嘆きたいよ…😭
あ、批判じゃなく理解するって話やったよな💦


批判したいんではなくて。
納得いくまで 理解させておくれよ。


まず「残酷さ」が読む目的ではないこの国の一個人である私は、
前向きな希望が残らん漫画は、基本的に好まへんわ。(お、言い切った!笑)
記事とか小説ならまだアリかな?とも思うけど。

漫画がそんなことしたら、
子供も大人もなく、
もしかしたらマイノリティかもしれない『悪意』だけが
この現実世界のすべてで、
それだけが人間の本質のように思えてくるじゃあないか。


希望や愛は形がないから信じられないのではなく、
形がないからこそ「信じる」のだ、と。
昔、プリキュアで言ってました。
え、深い。笑
どう考えても幼児向けアニメとは思えない…😅*余談

どこまで幼児が理解できるかはさておき、笑
(心には残るといいな!)
これ、折っちゃいたくないとこですやん。



世界は、残酷だ。
でも 世界は美しい。



それが、『進撃の巨人』…。
(やと思う… たぶん… 私が思うには……)



ふ、10代からこんなこと考えて生き続けて、
魂込めて描き続けたら、どんなに消耗するよ?

諫山先生、あきらめないで完結させてくれて、
心からありがとう。

あとは平和に自由に自分の世界で生きてほしい。
新ビジュアルだけ… ちょっとだけ欲しい…(*本音)


『進撃の巨人』はグロくて残酷やし、
希望つぶしてくるばっかで疲れる、意味わからん、とか、
読んでる途中でやめた人とかいるなら、
「もう一度、最後まで読んでみよう」って、思ってみて欲しいな〜…。
願望。


そして、
もう完結した話ではあるんやけど、
私の中では
きっとこうしていつまでも日常に食い込み、
生き残りつづけるんやろな。






以上、今回のブログ終わり!!
我ながら、重くながかった!!笑笑

でも、こんな話ができるってことも含めてさ、
私は 自由なんやな。




↑『進撃の巨人』と 大分県 日田杉と 長崎県 波佐見焼
革新のコラボレーション 
めっちゃ綺麗…✨️