のどかな昭和のゴジラのプロレス映画から、真に21世紀的な特撮映画に生まれ変わって、初めて納得行く映画になったのが、「ガメラ」を再生させた金子修介監督作品だというのは、東宝にとっては屈辱的なのかもしれませんが、これはもう仕方がない、と言わざるを得ない傑作です。

初代を除く、いままでの東宝のゴジラ作品すべてをなかったことにして、50年ぶりに現れたゴジラ、という世界観の上に成り立っているので、この世界ではモスラもキングギドラも初登場。そこで彼らの位置づけを宇宙怪獣でもインファント島でもなく、ヤマトの神獣としたのがミソ。

ゴジラは完全に白目にして、心のない感じでただ暴虐の限りを尽くす、悪意の塊として描かれています。それゆえに、宇崎竜童さん演じる立花准将のような立場の人にとっても、50年前のゴジラに対しては原子力の生んだ被害者としてよりも、個人的な怨みの対象となっているのが特徴で、ここは本来の「ゴジラ」と言えるのかどうか、微妙なところでもあります。

また、防衛軍が初代ゴジラ撃退の時に果たした役割に関する政府の隠蔽など、日本の再軍備のための噓や、平和憲法との関係などにも触れ、神獣が守る「国」は「ヤマト」であって「国家」ではない、などの言及もハッと考えさせます。

前田姉妹が登場するなど、「ガメラ」ファミリー色もあり、篠原ともえさんが渋く登場したり、「?」と思ったらやはり佐藤二朗さんがチョイ役で出ていたり、キャストも豪華です。

ゴジラがハリウッドのトカゲから、少し昭和の二足歩行志向に戻り、少しだけおなかがメタボ気味。しかしながら特撮映像、戦闘シーンのリアリティーや特撮のこなれ方は、今世紀に入ってトホホだった「2000ミレニアム」「メガギラス」とは一線を画す仕上がりになっています。避難がなんであんなに遅れているのか、とか、なんで市街戦が大げさに始まっているときに街の明かりがあんなについているのか、とかはちょっと不思議な感じもありますが。

あと、あんなに戦いが始まっちゃうとネットも電波も落ちてしまっているんじゃないかな、とかその辺のリアリティーは追及しだすときりがないですけどね。