時代的には1960年代とされているのですが、もっと古い時代のものかと思えるのはボルチモアという土地柄でしょうか。米軍の実験施設に囚われてきたアマゾン川の〝神”とされる生き物と、そこの清掃係をしている女性イライザの物語。
イライザは孤児として育てられ、虐待のためか喉を切られ口がきけずに育った女性。ある日施設に連れられてきた実験生物に興味を惹かれ、ゆで卵を与えたことがきっかけで手話と音楽でコミュニケーションをとるようになる。
調査を任されているのは米軍のストリックランドという差別意識丸出しの軍人。生物に指を噛みちぎられ、虐待することに快感を覚えている。その生物にはソ連も興味を示していて、施設に潜入していたスパイのホフステットラー博士は学術的興味から生物に共感。だが米軍はすぐにめざましい成果があがらないことに落胆して生物の生体解剖を命じる。
時間が限られていることを知ったイライザは、同居人の画家と画策して救出作戦を。途中で同僚のゼルダとホフステットラー博士の協力を得て、自宅に連れ帰ることに成功する。
しばらくは自宅での生活が続くが、次第に捜査も迫り、ホフステットラー博士もソ連に裏切られてストリックランドに殺される。雨の中、入り江に生物を逃がしに向かったイライザだが…。というお話。
「アメリ」を思わせるところや、当時のアメリカのカルチャーに関する言及が随所にあり、「未来世紀ブラジル」的なディストピアを連想させる部分もあります。なにより、イライザという名前は「ピグマリオン」との関連もあるんじゃないかと思います。言葉を話さない彼女が手話を通じてコミュニケーションを試みる、という全編を通じての仕掛けにうなってしまいました。そしてクライマックスで、彼女の首の傷の本当の意味が明かされる、という点も映画的な驚きに満ちていました。
文化的には、当時の一般世界での、黒人やブルーカラー労働者、性的マイノリティーに対する差別意識や、映画・エンターテインメントの世界の引用が随所にあって、タップダンスのシーンや、イライザと生物のダンスのシーンなど、幻想的な世界に圧倒されます。
ある意味「パンズ・ラビリンス」の大人の女性版、とも言えるんじゃないかと思います。
