世界観は「スチームボーイ」と「ハウルと動く城」で、ストーリーは「スター・ウォーズ」と思って見ればだいたい間違いないです。あと、「モリー・テンプラーと蒼穹の飛行艦」という小説も思い出しました。

舞台としては、世界大戦で一度人類が滅びたあとの世界で、大陸はその形を変え、人類が移動する都市の上に住んでいるという設定。まず小さな街が一つ、巨大な移動都市「ロンドン」に飲み込まれるところから始まります。街を飲み込むと、住人は武装解除されて引き受けられ、都市のパーツはリサイクルに回されて巨大都市のエネルギーにされる宿命。

そんな中で、滅びた古代文明を回収したり、博物館に収めたりする動きもある。飲み込まれた都市に住んでいた一人の少女ヘスターが、市長補佐ヴァレンタインを殺そうとする。ヘスターの母親をヴァレンタインが殺したという。その場に居合わせた博物館職員トムとヴァレンタインの娘キャサリン。ヘスターは逃げる途中で排出口に転落。追いついたトムはヴァレンタインに突き落とされてヘスターと珍道中に。

途中で怪しい人身売買に引き渡されたりしたヘスターとトムを救出したのはお尋ね者のアナ・ファン。移動都市反対のテロリストという触れ込み。自由になったかと思ったとき、ヘスターを追うもう一人の存在、人造人間シュライクが乱入。かろうじて逃げおおせる。どうもヘスターは母親を殺された後でシュライクに育てられた。人間性をほとんど失ったものの、ヘスターを大事に育て、彼女の哀しみを癒やすために、人造人間に移植しようという計画を。ヘスターは父の形をとるために逃げ出したのだと。

一方「ロンドン」では、ヴァレンタインが密かにクーデターを遂行中。過去の大戦で壊滅的な被害をもたらした最終兵器「メデューサ」を復活させようとしていたのだった。トムが集めた古物とヘスターの母親から手に入れたコンピューターのコアで、それが実現しようとしている。

アナとエアヘイヴンで話したヘスター。母親のことをよく知っているらしい。ヴァレンタインの計画を止めるためにヘスターが必要なのだと。しかしそれがなんなのかわからない。そこにシュライクが乱入して戦闘に。燃え落ちるエアヘイヴン。ヘスターがトムのことを大事に思っていることを知り、シュライクは計画を諦め、機能停止する。彼がヘスターに託したのは、母親が残したペンダント。

ヴァレンタインはかつての中国シャングオへの進撃を開始する。射程距離に入ったとき、メデューサの威力で城壁は焼け落ち、甚大な被害が。ヘスターはペンダントのデザインから、中にデータが入っていたことを知る。これこそがメデューサを機能停止させるキーだった。

空中戦で仲間を失いながらも「ロンドン」に潜入、アナはヴァレンタインに殺されるがギリギリのところでメデューサを止めたヘスター。キャサリンが暴走するロンドンをトムと協力して止め、大戦はくい止められた。投降するロンドン市民たちをシャングオは温かく受け入れ、トムとヘスターは新たな旅に出る。

ということで、いわくありげな登場人物が次から次へと表れるので、本当の主人公は誰だよ、と言いたくなりますが、基本はトムとヘスターのラブストーリーなんですね。トムが基本とろいタイプなので、ヘスターがなぜ彼に惚れるのかはよくわからない感じです。キャサリンが途中でフェードアウトしがちで、ラストで少し役割はありますが、お添え物感は否めません。

「ロンドン」が、侵略を進めなければどうなっていたのか。エネルギー枯渇が問題となっていたようで、他の都市を飲み込んでも先は見えていたようにも思えます。シャングオはその後平和に暮らせるような町だったんでしょうか。

ヘスターの父親がヴァレンタインなのじゃないか、と匂わせて、でも結局ヴァレンタインに止めを刺したのはトムだというのはどうなんでしょう。ちょっと違う終わらせ方もあったような。

ちょっと興味深かったのは、ヘスターとシュライクの関係で、シュライクの最期は泣けました。シュライクがヘスターを殺したがっている、というのは違う意味での愛情表現なんですよね。心があるから、苦しい、だから彼女を自由にしてあげたい、という彼なりの親心はちょっと胸を打つものがありました。

アナは、なんとなく侍っぽい、というか布袋寅泰さんぽいです。

映像的にはとにかく大半がCGと合成なので、よくここまで映像化したな、というのは感心しました。ただ、映像がそうでもこの世界が成立しているかどうかの説得力、という意味では少し怪しい感じもします。エネルギーの原理とか、都市機能や日常生活のディテールがちょっとずつ足りないように思いました。序盤のトースターの話なんかは少し面白かったんですけどね。

ロンドン市民が、無邪気に昔の帝国主義を肯定しているような感じで、簡単に戦意高揚にあおられてしまう人民だ、というのはイギリスの観客にはどう見えたでしょうか。ラストは帝国主義の敗北と、中国哲学の寛容をPRしすぎのようにも見えますね。

原作本があるので、たぶん本だとちょうどいいんでしょうが、映画としては詰め込みすぎでしょうね。