実話に基づく話をスピルバーグが手がけるというのが、過去には「ミュンヘン」のようなものもあるし、どのくらいシリアスなんだろう、と思いましたが、さすがのバランス感覚でエンターテイメントとヒューマンドキュメントのいいとこ取りをしていますね。

時系列は多少難しい始まり方で、注釈が多くてめんどくさいですが、それなりの理由があってそうなっています。フランク・W・アバグネイル・ジュニアは、初めは両親の元で幸せに暮らしていましたが、父親の事業がうまくいかず、税務署からいつも責めたてられる姿を見ながら育つ。母はいつの間にかロータリークラブの会長と浮気。そんな中、フランクは学校では先生に成り済ましたり、妙に口はうまいけど地に足のつかない学校生活を。

そのうち、両親が離婚するということがわかり、ショックで家出。父親からもらった小切手を切ろうとするけれどあちこちで断られる。そのうち、町の誰からも一目置かれるパンナムの操縦士、と身分を偽ることを覚えます。

この時代のこと、小切手の詐欺がばれるまでにはタイムラグがある、ということを巧妙に利用して一財産を築いてしまう。そしてFBIの注目を集めて、カールに踏み込まれたところで機転を利かせて危機一髪。業種を変えて今度は医者に。そこの看護師と仲よくなって今度は弁護士の資格もあると口走って司法試験に合格、義理の父親の事務所で働き始めます。

こういうところ、医者も弁護士もテレビドラマを見て勉強する、というあたりがにやにやしてしまいます。そして毎年のようにクリスマス・イブにはFBIに電話してカールと話す、というのが一つ大事なシーンになっていきます。

そして時々会う父親との関係も。父親のフランク・シニアは息子の虚言癖、詐欺の才能を見抜いているのですね。それが自分由来の一種の狂気であることも。ジュニアの方も、実はこれは父親に止めてほしい、かまってほしいという願望の表れでもあるのだ、と匂わせます。

そして、最後は母親の村で捕まり連行。飛行機で父の死を聞かされたあとにも脱出、母の新しい家族を見てから収監されます。

ふつうならここで終わるんでしょうが、次に見事なオチが。彼の小切手偽造の腕前が見事すぎて、FBI捜査の役に立つとわかり、カールがFBIに引き抜きます。週末に一度は逃げ出しかけるフランクですが、結局カールの元に戻り、現在も活躍中、というところで終わり。

タイトルの「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」は「捕まえられるものなら捕まえてみろ」という挑発にも見えますが、「できたら捕まえてほしい、かまってほしい」という未成年の孤独でもあるのでしょうね。まだ完全に大人になりきらないディカプリオの新鮮さが、この自我の固まらないナイーブさをうまく表現していると思います。そしてシニア役のクリストファー・ウォーケン。瞳に宿る狂気がすごい。彼は一体息子を愛していたのだろうか。

「バリー・シール」とちょっと似たストーリーなのですが、あちらが破滅願望の無軌道な麻薬密輸なので、こちらはずいぶんスマートで知的、繊細な物語に見えて、まとまりも見事だな、と思いました。

パンナムがあった時代、というのと、当時のパイロットは子どもにサインをねだられる存在だったのだな、というのがまた新鮮な発見。そういえば「ひみつのアッコちゃん」のパパは船長さんで、それも憧れの仕事だったんですよね。

小切手で支払う文化、というのがないので日本ではピンとこないかも、というのと、フランクの偽造の技術のすごさが前半部分だけだったのはちょっと残念だったかも。

ブレンダ役のエイミー・アダムスは、「魔法にかけられて」で見て初めて気になった人ですが、それよりはずいぶん若いころの作品です。

新婚パーティーに押しかけたトム・ハンクスの前にドアの隙間から出てきたドル札がヒラヒラ舞うシーンがあって、これはもう嫌でも「フォレスト・ガンプ」を思い出させたり、そういう映画の楽しみ方もできますね。

作曲のジョン・ウィリアムズもここでは全く違う、フリージャズっぽいサントラで、まったくその多才さに恐れ入ってしまいます。

エンドクレジットの最後にBruce Paltrowへの弔辞があるのですが、グウィネス・パルトロウのお父さんで映画プロデューサーですね。スピルバーグとの接点がなんだったのかなと気になりました。