前作のエンディングを引き継いで、レジスタンスの運動に身を投じていくカットニスの姿を追い続ける3作目。次で終わるので、そこに向けてのお膳立て、という位置づけ。少し地味なのは仕方ないですかね。
レジスタンスの首相コイン(ジュリアン・ムーア)に期待をかけられたもののピータを見捨てたレジスタンスに不満なカットニスは当初その象徴としての役割を引き受けるのにためらいが。でも故郷が荒らされた様子を見て考えを改め、結局承諾します。
そのあとはメディア戦の様相を呈してくるというか、各地区に流すプロモビデオを制作するためにあちこちに行ったり、その途中で襲撃されて反撃したり、ぐらいが派手なアクションで、政府の執拗な爆撃を食らう辺りが閉所恐怖症の人にはこたえるだろうな、という感じの描写。戦時中の空襲の恐怖もかくや、と思わせる綿密な描き方で、戦争って、普通の人にとってはこういうことなんですよ、とさりげなく伝えているように思います。
大統領が、捕虜奪還作戦を知りながらなぜそのまま見逃したのか、謎ですが、ピーターの洗脳でカットニスを殺せる、と踏んでいたのならちょっと甘すぎ。もっと深い策略が次回明かされるのかどうか。
自分の方を哀れに見せて相手を非道に描く、というメディア戦略でシンパシーを得るのはどちらか、という近代的な政治のあり方をだいぶ皮肉っている感じがして、ある意味シリーズでここまでで一番現代的なメッセージを感じました。
レジスタンスも、コイン首相の演説に簡単に熱狂してしまう大衆の怖さ、ジュリアン・ムーアの陶酔演技も見事で、レジスタンスだからといってファシズムと無縁でもないのかも、と思わせる部分がありました。次回でどういう落とし方をするのかわかりませんが、ただレジスタンスの勝利で万歳、ではない、そこからこぼれ落ちる人の心をどうするのか、が大きなテーマなのだろうと思います。
捕虜を奪還して盛り上がる大統領演説の裏で、ピーターが身体拘束を受けて、苦しんでいるというコントラストのつけ方も、巧妙です。
途中でカットニスがアカペラで歌って、レジスタンスのダム破壊の時にも盛り上げたTHE HANGING TREEは、いかにも実在しそうな民謡風ですが、作詩は原作者ですね。
エンドクレジットではフィリップ・シーモア・ホフマンへの弔辞も入っていました。最終回分の素材は撮れていたのかどうか、不明ですが、いい俳優さんだったな、と改めてその存在感を惜しみました。