
プレデター世界の描き方として、複数の勢力が現れた、というのは新しいのですが、人間に対してのスタンスがこれほど敵対的に描かれた、というのは今後に向けて禍根を残すような気もします。
メキシコで暗殺任務遂行中に宇宙船が墜落してきてプレデターにチームの仲間を殺された隊長マッケナが、最初は私怨で宇宙人を追うのですが、実はそのプレデターには逃げた理由があって…、という始まり方。
一方で研究所にはそのプレデターを捕らえたチームがいて、呼出しを受けたケイシーは途中で逃げ出したプレデターを追うものの、途中からはCIAに命を狙われる存在になります。
で、精神異常者として隔離されそうになったマッケナは他の退役兵たちといっしょにバスを乗っ取り、プレデターを追うことに。ところが途中でそのプレデターはもっと大きいヤツに殺されて…。という展開。
マッケナの息子ローリーが、過失とはいえ持ち出したマスクが原因で隣人を射殺・家を爆破してしまう、というシーンはどうなんだろう、と正直思いました。クラスメートが彼をいじめるシーンでは、「ass-berger」と呼んでいるのですが、これはローリーがアスペルガー症候群であることを揶揄しているのですね。彼がチェスの動きを全部再現できるほどの優れた記憶力の持ち主であることや、プレデターの装置を即座に使いこなしてしまう才能を発揮するところまでは面白いのかな、と思ってみていたのですが、その後どんどん普通のこどもになってしまうのは表現としてどうなのかな、と疑問に感じました。
あと、プレデター同士の交信が字幕で翻訳されてしまうともはやなんでもありだな、というのと、人間側でも解読できるような言語であることも、なにか設定上新しいものを持ち込まねば、という試行錯誤なのだとは思いますが、後戻りできないパンドラの箱を開けてしまったな、と思っています。
プレデターのDNAまで人間を取り込んでいる、という「種」の功利的な行動である、と位置づけてしまうと、今までのスポーツマン精神的な戦いぶりとは整合性がとれないような気がしますが、気にしない人の方が多いでしょうか。