
中国の一人っ子政策を歴史として知っているとまた違った見方もできるんじゃないかと思います。
ノオミ・ラパスにとってはきっと演じ甲斐があっただろうな、と思いますが、個人的には特に前半の一人一人が殺されていくところがあんまり好きになれなかったかなと思います。7人のカレンの曜日ごとの描き分けがそれほど面白くないので、よほど彼女の顔が好きでないと、同じ顔が並んで会話しているのが単調に見えてしまう。演じ分けている、というのはわかりますがそれでも少し理屈っぽく見えます。
後半になっていくにつれて、グレン・クローズ演じるケイマンの裏の顔を暴く、という目的に向けて盛り上がっていきますが、アパートが爆破されるあたりまで、どのカレンも受け身すぎて、ただ座して死を待つような行動で説得力に欠けます。彼女らを襲うケイマンたちの手法も、目立たないようにこっそり、とか言いながら、群衆の間を銃をぶっ放しながら追いかけるので、これ、もっと他にやり方がありそう、と思えてしまう。
この世界基準の、ものごとの処理の仕方、という設定に関して、ちょっと甘かったんじゃないかな、と。だってある場所に出たり入ったりしたときの記録照合したら、いまの会社だって、まだ中にいるはずだ、とかチェックされてしまうわけです。
7人の暮らしぶりだって、食材はものすごくたくさん仕入れるわけだし、ウィレム・デフォー演じるおじいさんの暮らしぶり、日常のディテールの引き継ぎ方や7人のキャラクターの別れ方まで、どこかリアリティーがないというか、絵空事な感じは残ってしまいましたね。
最終的に、マンデーはみんなを裏切ったわけですが、でも実は悪くなかった、みたいな切れのない救済で終わって、ちょっともやもやしました。字幕だとニュアンスがよくわからなかったけど、死ぬ間際にマンデーはエイドリアンとの間の子供ができた、と告白していたのですね。エイドリアンは結局、どのカレンでもよかったの、みたいな。
老人を処理した「ソイレント・グリーン」の子供版、という意味では後半のネタバレにインパクトがあり、見せましたけど、もやつきもたついた前半でした。