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もう記憶の中ではカラスのことしか浮かんでこないのですっかりモノクロ映画だと思い込んでいたら、なんとカラーでしたね。
1963年なので、「サイコ」がモノクロなのに「鳥」はカラー。こどものころにテレビで見たときにモノクロだったのかも。

ティッピ・ヘドレン演じるメラニーのキュートさにまずびっくり。彼女がキャスティングされた経緯とか、オープニングシーンのちょっとした遊びの仕掛け(ヒッチコックのカメオ出演はさておき)にもびっくり。

新聞社の社長令嬢としていたずらをしかけるのが得意なじゃじゃ馬娘が、お固い弁護士ミッチの妹キャシーにラブバードをプレゼントしつつ、モーションをかける、というのがきっかけなのが、二人の恋の行く末がどうなるのか、という縦軸にもなっていて、そこに夫を亡くした後に息子の相手に嫉妬する母親、というリディア(ジェシカ・タンディ)の神経質な名演が花を添えます。

結局、ラストの方でメラニーが襲われた後の看護の様子で、リディアはトラウマを乗り越えて、メラニーをいたわることができるようになる、という様子も見て取れて、人間ドラマとしてもカタルシスがあるわけです。この辺は、家庭に入って男性に頼りきった女性、という古い伝統的な女性の生き方の限界をもほのめかしているわけで、ヒッチコックは割に早くから、女性の生き方、ということをテーマとして意識していたことがうかがえます。

いろんな動物パニックものや、現実の事件の情報をたくさん仕入れてしまったあとの我々は、あそこでわざわざ外に出て逃げたらパニックになるのは当たり前だろう、とかしたり顔で言ってしまいがちですが、その「当たり前」を教えてくれた原点が、この「鳥」なわけで、天に唾するような批判はいけませんね。

主演のティッピ・ヘドレンは、2階の寝室で襲われるシーンで、作り物の鳥に襲われるだけだと思っていたら当日に生身の鳥のシーンになっていて、それが1週間続いて、すっかりまいってしまったらしく、ラストシーンの呆然とした感じとかは、もしかしたら演技する余裕のない、無表情になっていたのかもしれないな、と鬼気せまるのもを感じました。

音楽をほぼ使わず、合成音を中心に使った、というのも実験心旺盛なヒッチコックらしいところ。合成の映像や鳥の特撮にばかり気を取られがちですが、サスペンスを盛り上げるための鳥の声や気配の巧みさは、この映画の重要な主役の一つだったと思います。

メイキングで合成の仕掛けもいろいろと解説を見ましたが、マットペインティングの技量の高さは圧倒的。スタジオとロケの区別はさすがにつきますが、当時の特撮でマスクを作って合成する仕組みとか、もう55年前のものと思うと、一流のスタッフのものすごい労力が投入されていたことがうかがえます。