スペインのマドリードを舞台にした映画。

何気ない日常の空間であるバル。日本で言うならスタバかドトールか、という位置づけの店なんでしょうがそこがバルであるところがお国柄。

はじまりからして、複数の人々の会話をピックアップする移動カメラの長回しで始まるので、どんな群像劇かな、と思ったらそのあと1時間ほどは密室での会話劇。そのあと1時間ほどは地下と下水道で展開する、なかなか絵柄的には忍耐を要する映画でした。もっと閉じ込められた各人の生活にディテールがあったら地上での密室劇が膨らんだかも、と思うのですが。

後半は感染もののお決まりパターンに陥ったので醜い人間の差別感を描いていでこれは「新感染」を少し思い出す展開。オバサンの自殺の直前のバーのコックの独白は、少しタルコフスキーを感じました。

個人的には、最初の銃撃が起きた後に街がちょっと静かすぎる、二人の死体が消えた瞬間を誰も見ていないのは都合がよすぎる、テレビでニュースが出るのが遅すぎる。最初からあのトイレの男が狙われていたならなぜ別な男が撃たれたのか、その程度で感染を予測されるなら店に入る前の接触者は全て殺されないとおかしい、などの疑問は出ました。

ラストにエレナが脱出した後に出ている煙は、あの店の煙なのか、あるいはまた別な場所に感染者が出たのか、あるいは、こんな事件は日常茶飯事だからもはや誰も関心を払わないのか、などいろいろ象徴的でした。

銃が都合よく出現したり消えたり、携帯電話がつながったりつながらなかったり、小道具のディテールまではあまり計算されている感じがしなかったです。

ちょっと見ているうちにお話は全く違うのだけど、RadioheadのJustという曲のPVを思い出しました。街角に寝ころがっている人がいて、その人に話しかけてもほっとけ、と言われて、でも事情を知りたがる人たちが群れてきて…、という展開のクリップ。人々のお節介がテーマなのと無関心がテーマなのでは逆とも言えますが、ちょっと黙示録的で、伝染的で、やはり底辺に流れる、人間の本質を描いている。

サブタイトルのミスリードぶりはちょっと我慢できないレベルだと思いますが、映画全体としてみるとおしゃれなエンディング含め、まあ、まとまっているかなと。

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