フルトヴェングラーの有名な「バイロイトの第九」。
バイエルン放送の音源が新たに発見されたことでずいぶんマニアの世界では大騒ぎだったようです。
ただ、個人的にはバイエルン放送音源が本番でEMIの発売がリハーサル中心だ、と主張する人が多くてビックリです。
もしそれが本当なら発売当時に「これは本番とは違う」と、当日客席で聞いてから録音を聞いて、違和感を覚えた人が続出したはずだと思わないのでしょうかね。
咳の音が入っているから本番だ、と主張する人は、ゲネプロには客席が全く無人だ、という前提に立っているようですが、音楽祭関係者、録音関係者、取材陣など、さまざまな人々が会場にいてゲネプロに立ち会っている、という当然の状況を想像できないようです。
また、全く違う場所、時期の録音を比較して音質のことを言う人もいるようですが、シュナップ博士のインタビューなどをお読みになってみるといい。録音エンジニアの腕や信条によって、録音の結果は驚くほど異なるものです。ましてや放送局の中継班などは玉石混淆。公共放送の音声担当には、公務員のようなエンジニアだって少なくないのです。フルトヴェングラーが信頼していたのは戦後は北ドイツ放送のシュナップ博士ひとりだったといっても過言ではありません。
バイロイトの第九の本番が終わった直後にフルトヴェングラーがレッグに感想を聞いて「期待したほどじゃありませんでした」と言われてしばらく落胆していた、というのは有名な話ですが、だからといってその前のゲネプロの方を使おうとレッグが判断したか、というとそんなことはしないだろう、というのが音楽業界、あるいはレコード会社の常識でしょう。ましてやフィナーレのコーダが崩壊寸前のアンサンブルなのに、それを差し替えずに他の微妙な部分でゲネプロを採用する、なんていうバカなことをするはずがありません。
「このテープ使用不可」となぜ書かれたか、答えはカンタン。それを聞かれると、EMIの音源に、ゲネプロ素材を使用したことがばれてしまうからです。
音源としてどちらが自然か。それはゲネプロ音源でしょう。それは録音後のクレシェンドなどレッグおよびEMIが加えた編集・加工の手が加わっていない、フルトヴェングラーならではの一筆書きの刻印がはっきりと見えるからです。名人の作品に手を加えてもいいことない、ということですね。そのことは別に、本番の録音であることの証明でもなんでもないのです。
なぜ新発見の音源の方が本番だと思いたがるか。その方がドラマチックだからにすぎません。