だまされてはいけない。これは、機械仕掛けのストーカーのせいで人類が絶滅する話なのである。

その根拠は…
人類が地球に帰還する条件は、植物が自生できる環境が地球にととのった、ということを証明する物証を手に入れることだった。

しかし、イヴが実際に手に入れた植物は、必ずしも自然の状態に自生した植物ではなかった。密閉され、汚染されない環境で偶然発芽したものではあったが、これがそのまま順調に生育するという保証はどこにもなかったのである。

したがって、人類が地球に帰って来ても、その環境で生き延びられる確率は、ほとんど、ない。しかも数世代にわたる運動不足で地球の重力にすぐに適応できるはずもなく、ましてや農耕技術の獲得が順調にできるわけでもない。つぎつぎと成人病や突然発生する伝染性の奇病にむしばまれ、あえなく死滅する運命にある。

つぎに、ウォーリーがストーカーであるという事実。イヴは、最後のシーンで地球に帰ってくるまで、ウォーリーにいかほどの恋愛感情も感じていない。むしろつきまとわれ、職務遂行を妨げられ、散々な目にあわされている。それでもウォーリーを脱出ポッドから救い出したのは、純粋なあわれみの心である。

修理工場から解放されたロボットたちにしても似たことが言える。かれらは何らかの故障を生じたから修理をされているのであって、決して理由なく迫害されているわけではない。ウォーリーの利己的な行為によって偶然、拘束を解かれたからといって、かれらがなにか人類あるいはロボットの社会に対して善をなすか?否。せいぜいパトロールロボットの妨害をし、破壊行為を行う程度である。自らの行為に対する善悪の判断はそれこそ、皆無である。

主人公のウォーリー自らが、そういう存在なのである。彼は純粋に自己の欲望(恋愛感情の成就を目的とする指向性は欲望以外の何物でもない)を満たすために、他者のあらゆる行為を妨害し、意図をねじ曲げ、結果としてたまたま人類を地球に導いた。それが破滅の道であるか、再生の道であるか、だれも知らない。ただ一人それを喜ぶのは日常の繰り返しに飽きた船長のみである。

目の前でなにかアクションが起きていればことの善悪に関係なく手をたたいて応援する、宇宙船の中の大衆たち。その姿はかなりノーテンキなものであって、人類の未来を思うと暗澹たる心持ちになるのである。

それらが意識されてのものであったなら、かなりなブラックユーモアなのだろう。