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本当はテレビ作品なのでジャンル違いですが、まあそこはご愛嬌ということで。

この名作テレビシリーズ「刑事コロンボ」、当初は舞台として「殺人処方箋」が作られ、全然違う俳優さんが演じてたそうですが、これをテレビ映画にする際にピーター・フォークがキャスティングされました。で、第1作の「殺人処方箋」は、それなりの好評価を得ましたが、作りとしてもむしろ犯人役のジーン・バリーにスポットが当たっていて、コロンボは好演した脇役、という印象です。

そして、何よりも原作者のレビンソンとリンクの二人が、まだテレビシリーズ化できる自信がなかったのだそうです。そこで数年間のブランクを経て再びパイロット版として作られたのが、この「死者の身代金」という訳です。

今見ると、映像の表現って何だろう、と考えさせられることがありますね。殺人のシーンが、殺される側の主観から描いた驚きのイメージシーンとして作られていたり、重要なシーンの最後にはフリーズして終わったり、今とは全く異なる映像文法ですが、非常にスタイリッシュ。今みたいに露骨に血しぶきを飛ばしたりはしません。最近は何でもレアリズム志向が強くなって、かえってバリエーションがなくなってきたような気がします。

で、いきなり冒頭で殺人シーンがあってから、さまざまな偽装工作のシーンがあるのは、のちのシリーズ化されたものの路線が既にしっかりと出来ています。コロンボのいやらしさや、観察眼の鋭さは、かなりイメージとしてはきちんと売られていて、しっかりこの作品の主人公として意識されていることがわかります。権力欲から旦那を殺してしまったやり手の女流弁護士レスリーの強気の攻めと、コロンボのけたぐり合戦。途中に殺された旦那の娘(先妻の子)というのがからんできてやや感情的な展開もありますが、状況証拠から次第に追い込まれていくのは通常シリーズと一緒。おとり捜査的な手法がとられているのはやや「殺人処方箋」寄りでしょうか。現代では通用しない捜査方法かもしれません。

後半に娘がさまざまなやり方でレスリーを追い込んでいくところなどは、ちょっとスリラー風な仕立てもされていて、ちょっとサイケ調の音楽も。考えたらもう30年以上前の作品なんですね。

あと、自動電話システムなどをつかって、その時代のハイテクを駆使しているのも当時としては新しかったでしょう。野球のチケットを電話で予約できるようになった、などとコロンボが自慢しているのがほほ笑ましかったです。