スズメバチのことを書いたついでに、子ども時代の思い出がよみがえったので、忘れないうちに文章にしようと思います。
「夏の思い出」という定番の歌がありますが、あれに出てくる「尾瀬」という土地に一度だけ家族で遊びに行ったことがありました。そんなに「はるか」でもありませんでしたが、そんなに湿地帯でじめじめした記憶もありません。ただ、田んぼのように水が浮いているところにぎらぎら日差しが差していたのでやっぱり初夏だったのでしょうか。小学校低学年だった僕と兄は、子どもの遊びの定番、昆虫採集にいそしんでいました。
何匹か定番のコガネムシやら、モンシロチョウやらを捕まえた後、すごい勢いで、「ブン!」と飛んでいく生き物があります。最初はあまりに大きいので虫だとは思わなかったのですが、とにかく黒くて大きいものが耳元をあざけるようにかすめ飛んでいきます。
それが、オニヤンマを初めてみた記憶でした。
当然、あいつを捕まえよう!というのがぼくら兄弟の目標となり、足場に細い板がしいてある程度の湿地帯を駆け回りました。最初は全く相手にしてもらえなかったほどのスピードで飛び回っていたのですが、次第に動きのパターンが見えてきました。きわめてランダムにしか飛んでいないように見えたオニヤンマにも、実はある程度のサイクルで飛び回る場所のパターンが決まっており、ある程度の時間を待てば、必ずここに来る、というような法則性も見つかったのです。
そして待ちかまえて数分、兄は泥の中に片足を「ボシャ!」と落としながら、網をふるいました。中には、いま捕まえたばかりの…。
オニヤンマでしょうか、これ…。
さっきまでは誰がどう見てもオニヤンマだと思うほど、貫録たっぷりに飛んでいたあのトンボ、捕まえてみるとそれほど自信がなくなっていました。それは、別に元気がなくなっていた、とか思っていたほど大きくない、とかそういうことではないのです。
普通のオニヤンマなら黄色と黒のシマのはずが、黄色くないのです。黄色いはずの部分が、みずいろなのです。
いまなら、即座に昆虫学者のところに持っていったかもしれません。少なくとも学校には届けたと思います。僕らの頭には「新種を見つけたかも」という思いもありましたが、なにより、その美しさに見とれてしまったのです。もしもどこかに届けたら、この見事なオニヤンマは永遠に僕らの手を離れてしまうだろう。そんなことは我慢ができませんでした。
かくして、このオニヤンマは僕らの手元で標本となり、しばらくはその姿を誇っていました。やがて引っ越し、中学生になり、クラブ活動や受験勉強に追われるうちに、いつしか僕らはあの標本の在りかを忘れてしまいました。いまは実家の押し入れの片隅で、朽ち果てているかもしれません。
でもそんなことはもうどうでもよくなりました。なせなら、僕らはあの素晴らしいオニヤンマと確かな時を過ごしたのですから。
「夏の思い出」という定番の歌がありますが、あれに出てくる「尾瀬」という土地に一度だけ家族で遊びに行ったことがありました。そんなに「はるか」でもありませんでしたが、そんなに湿地帯でじめじめした記憶もありません。ただ、田んぼのように水が浮いているところにぎらぎら日差しが差していたのでやっぱり初夏だったのでしょうか。小学校低学年だった僕と兄は、子どもの遊びの定番、昆虫採集にいそしんでいました。
何匹か定番のコガネムシやら、モンシロチョウやらを捕まえた後、すごい勢いで、「ブン!」と飛んでいく生き物があります。最初はあまりに大きいので虫だとは思わなかったのですが、とにかく黒くて大きいものが耳元をあざけるようにかすめ飛んでいきます。
それが、オニヤンマを初めてみた記憶でした。
当然、あいつを捕まえよう!というのがぼくら兄弟の目標となり、足場に細い板がしいてある程度の湿地帯を駆け回りました。最初は全く相手にしてもらえなかったほどのスピードで飛び回っていたのですが、次第に動きのパターンが見えてきました。きわめてランダムにしか飛んでいないように見えたオニヤンマにも、実はある程度のサイクルで飛び回る場所のパターンが決まっており、ある程度の時間を待てば、必ずここに来る、というような法則性も見つかったのです。
そして待ちかまえて数分、兄は泥の中に片足を「ボシャ!」と落としながら、網をふるいました。中には、いま捕まえたばかりの…。
オニヤンマでしょうか、これ…。
さっきまでは誰がどう見てもオニヤンマだと思うほど、貫録たっぷりに飛んでいたあのトンボ、捕まえてみるとそれほど自信がなくなっていました。それは、別に元気がなくなっていた、とか思っていたほど大きくない、とかそういうことではないのです。
普通のオニヤンマなら黄色と黒のシマのはずが、黄色くないのです。黄色いはずの部分が、みずいろなのです。
いまなら、即座に昆虫学者のところに持っていったかもしれません。少なくとも学校には届けたと思います。僕らの頭には「新種を見つけたかも」という思いもありましたが、なにより、その美しさに見とれてしまったのです。もしもどこかに届けたら、この見事なオニヤンマは永遠に僕らの手を離れてしまうだろう。そんなことは我慢ができませんでした。
かくして、このオニヤンマは僕らの手元で標本となり、しばらくはその姿を誇っていました。やがて引っ越し、中学生になり、クラブ活動や受験勉強に追われるうちに、いつしか僕らはあの標本の在りかを忘れてしまいました。いまは実家の押し入れの片隅で、朽ち果てているかもしれません。
でもそんなことはもうどうでもよくなりました。なせなら、僕らはあの素晴らしいオニヤンマと確かな時を過ごしたのですから。