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久米田康治の「かってに改蔵」が打ち切りになるちょっと前から、ずいぶん作風が荒んできたなぁと思ったものです。なんとなく投げやりというか、そういう空気を演出しているのかなとも感じたけれども、むしろにじみ出てくるような寂しさと諦観のようなものがあって、そんなわけで打ち切りだと聞いた時も「ああ、やっぱり」という感じの方が強かったんではないでしょうか。小学館そして少年サンデーというカラーの中で、異色過ぎたかどうかは、歴史が判断するとして、「少年マガジン」で再び連載を始めると聞いた時にはずいぶんうれしく思ったものです。

そして、いまぼくの手元に「さよなら絶望先生」第1集があります。

連載を毎週きっちり読むのはそれほど得意ではないので、中には読み(買い)忘れてしまったエピソードもあったのですが、改めてこの「さよなら絶望先生」をコミックスとして読んでみると、改めてその事前の設計ぶりやキャラクターの突出ぶりが見えてくるような気がします。

まず、クラスの構成を一人ずつ丁寧に語っているのだ、というのが非常にくっきりと浮き出てきたのと、出席簿とその裏にある扉絵の構成にほれぼれしてしまいます。名前を横書きにすると「絶望」と読めてしまう「糸色 望」という名前の教師と、その生徒たちのハチャメチャを描く、というのはごく表層的な説明ですが、そこでモチーフは拡大され、波及し、収斂します。進路希望調査に反対して進路絶望調査を行う「絶望先生」の行いのなんとすがすがしい事でしょう。もはやこれはクラシック音楽のソナタ形式のようなクメタ形式を確立した世界で、われわれはそれに素直に乗っかって行けばいいのです。

「かってに改蔵」と同じだ、と言うのは分かっていない人の言うことです。「改蔵」を経て、この「絶望先生」で久米田康治は「より久米田」になったのです。He is getting kmetter and kmetter.

より長く、この幸福、いや絶望が続きますように。