先週大変な遅刻をした若者が、今週は無事にもう1件仕事を終えたので一緒に昼飯を食いました。そのなかで、数十年来疑問に思っていた謎が解けて、ずいぶん世の中がハッキリ見えるようになった気がしました。

その彼は、大学でフランス幻想文学を専攻していたので、いろいろと19世紀の文学者たちの妄想気質や、作品の中にあることないことを書く特性などについていろいろと説明してくれました。現代の小説家のように、一つの小説の登場人物が、全く違う小説の中に脇役で登場するような自由なキャラクターの使い方、現実の中に生じる奇妙なズレやパラレルワールドへの陥穽。その話を聞きながら、「やはり、当時のフランスの貴族社会が安定して太平楽をむさぼっていたからこそ、不安定への幻影が育ったのではないか」などと思っていたものでした。そんな中で、数十年間謎に思っていたある人物に関する物の見方が分かったような気がしたのです。

その人物とは、「サン・ジェルマン伯爵」です。

最初にこの人物の名前を見たのは、『サイボーグ009」の巻末に着いていた石ノ森章太郎さんのおまけマンガにサン・ジェルマン伯爵が登場したからなのですが、要するにこの人物は「人類最初のタイム・トラベラー」とうたわれることもある、謎の人物です。才気あふれる会話とやわらかい物腰で社交界の花形になったかと思えば、無尽蔵とも思える財産を有し、なによりも、変わらぬ若さでさまざまな時代の文献に現れた、とされているのです。

現代のSF好きの研究者は、これを何よりのタイム・トラベルの証拠、としたがります。しかし、これは一種の錯覚なのです。

どういうことかというと、当時のフランスの文学界、貴族界全体に、分裂症的な遊びの精神があふれていた、とすると、さまざまな日記や小説の中に、「オレも登場させてやれ」とばかりに「サン・ジェルマン伯爵」が登場してもなんの不思議もない、ということなのです。何も本当に人をだましてやろう、とは夢にも思わなかったかも知れません。「あいつも書いてるからオレも出してやれ」ぐらいの精神で、「サン・ジェルマン伯爵」の登場は当時の文学の世界では何よりの「遊び心」の証だったのではないでしょうか。そういう時代が長く続き、100年後の作家が同じようなノリでサン・ジェルマン伯爵を登場させてしまったことが、残された文献には真実が記されているものだ、と信じて疑わない後の研究者を困らせているに違いないのです。

言ってみれば、これは清涼院流水の集団殺人偽装のトリックによく似ている、「集団偽証」により生まれてしまった錯覚なのではないでしょうか。別に当時の人々が、後世の研究者を困らせようと思ったかどうか、定かではありません。遊びの精神、というか時代の常識というものは明文化されない、という例のように思われます。