駒大苫小牧高校への処分の案が決まりそうですな。高野連としてはできる限り柔軟な処分をしたと思います。部長は謹慎するとか、高校は独自で別途処分を考えるとか言うてますが、ちょっと考えたことを。

今回のような暴力沙汰、ホントに学校全体として発生するまで気づかなかったのかどうか。見てみぬふりをしてきたからこそ、内部告発のような文書が出回ったのでは、という気もずいぶんしますな、また告発があったあとでも学校側が必死にもみ消し工作や、生徒を懐柔あるいは恫喝しようとした形跡がありますな。そういう意味では大人の側の問題、というのが多く見受けられるようにも思えます。

生徒たちももちろん出場するからには一つでも多く勝ちたいし、強くなりたいんでしょう。だけどそういう生徒を指導する、強化する技術を持つ人材が集まるか、その辺は運だったり、伝統だったりさまざまです。実際にチームを強くする技量がある人材ならば、素行に多少の問題があっても目をつぶる、ということも実際にはあるのかもしれません。マンガにもそんな監督いますよね。

ただ、学校のクラブ活動の場合は本当にそれでいいのだろうか、という疑問はあります。テレビで中継されるからといって、高校野球がクラブ活動でなくなるわけではありません。彼らはプロではないのですな。あるいはプロのようなものならば、もしくはプロを目指す人々の準備期間としてそれが行われているのなら、もはや高校という枠組みの中でそれをやることには無理があるのでは、という気すらしてきます。

大人のことばかりではなく、生徒サイドの態度の問題、というのもあるでしょう。高校生になってくると頭もそこそこ使います。監督の方針への疑問や、起用方法への不満だってあるに違いない。もしかしたら万年ベンチ、あるいはベンチに入れない選手だっているに違いない。でもプロじゃないから選手を自由契約にするわけにも行かない。そういうときに、ちゃんとコミュニケーションが取れるようなゆとりがあるかどうか。多分今回の事件でも、一番足りなかったのがここなんでしょうな。