世界陸上をなんとなくつけていたら女子のマラソンをやっていた。
ラドクリフの強さばかりが圧倒的というか、そこにはそれ相当の執念と高度な戦略性というものがあったと思うのだが、どうも日本万歳中継スタッフにはそういうことには関心がないらしく、はるか後続の原選手ばっかりを追いかけていて、ちょっと物足りなかった。

どうも日本のスポーツ中継は、スタッフが不勉強なので元選手の手前勝手なしゃべりに相槌を打つか、自国選手を応援するかの二つしかないケースが多い。そういうスポーツ中継のスタイルを後押ししてしまったのが、長年続いてきたプロ野球中継だろうか。

まあ、原選手自体に罪はない。インタビューを聞いていても、全く用意していたかのようなコメントを棒読みする素朴さは期待以上だった。願わくは妙にアイドル扱いされて中途半端なタレントになってしまわないことを。

中継中に耳にした情報にうーんと思ったことがある。原選手を追っかけているカメラの背景に自転車で走っているおっさんがいて、それが原選手のコーチだとか中継のスタッフが紹介したり、同じチームの選手が沿道を走ったりしてバックアップする、だとか言っていた。

マラソンってそういう競技でいいのだろうか。

確かに勝つほうが負けるほうよりもいい。沿道の観客も罵声を浴びせるよりは応援したほうがいい。しかしコーチが沿道を走って激を飛ばしたり、チームメイト(マラソンってチーム競技なのか?)がペースメイカー並みにそばを走ったりしないと一人前の走りができない選手は、そもそもマラソンという競技には出るべきではないのでは?別に原選手一人のことをいうわけではないし、そんなもの走っている選手の目にはほとんど入らないのかも知れない。だが、マラソンとは、あくまでも個人競技であるべきではないのかと思ったのだ。

もちろんどんどん時代とともに記録は更新されていくし、体格のいい外国選手との基礎体力の差もあるだろう。その中で勝負をするために、いろいろな戦略を練るのは構わないと思うのだが、ひとたびトラックに出たらそこは選手対選手、一人前同士の勝負をさせてやるわけにはいくまいか。どうも日本ではすぐにコーチとの二人三脚だとか、美談として持ち上げたがるが、そういう部分で自立できない選手が長く活躍できるような気もしない。