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講談社ノベルスからの新刊「QED~ventus~熊野の残照」を読了した。

後で謝辞を見たら、作者の高田氏、編集者と結婚して新婚さんらしい。おめでとうございます。じゃあ作中での桑原崇さんもいずれは棚旗奈々さんと…。案外そうかも。

この作者のQEDシリーズ、時々西風隆介の「神の系譜」シリーズとかぶってくる時があるのだが、「神の系譜」がもっぱらエンタテインメント性を重視した、善悪の対決風の活劇として描かれているのに対して、もう少し学説論文風なところがある。ただそれが理屈のための理屈にならずに日本史の裏に秘められ謎や真実を生き生きと描き出してくれる。もちろん資料はたくさんあるのだろうが、それをまとめ上げて一つの仮説(これがすべて作者のオリジナルだとしたらまさに驚嘆)に到達する手法はなかなか見事だ。そういえばこの回と鎌倉の回だけventusというサブタイトルがついているのだが何だろう。

「当たり前のことは歴史書には書かれない」ということがある。民衆レベルでの常識になっていることは、あえて歴史書には書かれないので、かえって昔の常識や信仰、歴史認識には失われてしまったものが多いということなのである。同じことはクラシックの楽譜にも言えるかも知れない。演奏の様式・テンポ設定、編成などはいちいち書かれていないから、昔の楽譜を現代の演奏家が演奏する時には変なところでつまづいたりするのである。まあこれは脱線だが。

まあ、それで史実に関する新解釈だけならば、それだけの話で終わりなのだが、このシリーズが非凡なのは、現代に起きるさまざまな事件との接点の持たせ方だろう。熊野に生まれながら故郷を捨てた女性神山禮子の語りを軸にしながら、自らの過去を見る目が変わってゆくようすをドキュメント的に描き、熊野の神々の正体を推理してゆくのである。

今回の趣向として、時間を超えた叙述トリックのようなものもあり、変化を添えている。ネタバレになるが、これは森博嗣の「今はもうない」ともちょっと共通点が…。

出来ればシリーズ全作を通してチャレンジしていただきたい。