今日は一日衆議院の解散の話題で持ち切りだったようだ。もちろんメディアが。小泉の夜8時半~の会見も見てしまった。
いままでいろんな衆議院の解散はあったと思うが、これほど与党の内部が割れての解散は久しぶりと思う。だが、何よりも今回の解散が違うのは、純粋な政策論の是非を問うための解散として位置づけられていることである。小泉への評価は人さまざまだろうが、変人といわれようが、こういう解散の局面にあっても純粋に政策論を本位にして、派閥だとか、党だとかいう点に捕らわれない発想をしている、というのはかつてのどの首相よりも新しい。ある意味ドン・キホーテ的なのだが、民主主義という機構の最大の仕組みが選挙だとしたら、小泉はかつてのどの首相よりも、民主主義を信じ、機能させようとしているのである。決して自らが名を成すとか、力を集めるとか維持することが目的ではない。
小泉が解散をほのめかした時の反対派の慌てようは、単純に一度選ばれたらその席にしがみつきたい者の都合のいい泣き言である。選挙が行われることで、自らがより選挙民の声を代弁できるようになると、どうして考えないのか。政治家が己を捨てるなどというのは机上の空論であることがよくわかる。
そういう意味で問うた時に、いま小泉の代わりを出来る者がいるだろうか。彼が破れたら、またもとの派閥のつばぜり合いにもどるだろう。われわれはそれを望むのか?
ただ、疑問に思うのは、選挙の争点を何にするか、というのは解散する立場だけが決めることではない、ということである。選挙で代表を選ぶ時に、誰を選ぶかを決める基準はその人が何を言うかであって、小泉の問いに答えるかどうかではない。たとえば靖国の問題をこの期に及んで「一個人の問題」としても、8月15日はまもなくやって来る。アジア諸国の顔をつぶさずに自分の信念を貫けるか、そこがうまくいかねば、郵政を議論する以前につまずくだろう。
そういう意味では、小泉の言う争点と同じ土俵に他の党、自民の対立派がのるかどうか、というのも重要な分岐点なのである。
いままでいろんな衆議院の解散はあったと思うが、これほど与党の内部が割れての解散は久しぶりと思う。だが、何よりも今回の解散が違うのは、純粋な政策論の是非を問うための解散として位置づけられていることである。小泉への評価は人さまざまだろうが、変人といわれようが、こういう解散の局面にあっても純粋に政策論を本位にして、派閥だとか、党だとかいう点に捕らわれない発想をしている、というのはかつてのどの首相よりも新しい。ある意味ドン・キホーテ的なのだが、民主主義という機構の最大の仕組みが選挙だとしたら、小泉はかつてのどの首相よりも、民主主義を信じ、機能させようとしているのである。決して自らが名を成すとか、力を集めるとか維持することが目的ではない。
小泉が解散をほのめかした時の反対派の慌てようは、単純に一度選ばれたらその席にしがみつきたい者の都合のいい泣き言である。選挙が行われることで、自らがより選挙民の声を代弁できるようになると、どうして考えないのか。政治家が己を捨てるなどというのは机上の空論であることがよくわかる。
そういう意味で問うた時に、いま小泉の代わりを出来る者がいるだろうか。彼が破れたら、またもとの派閥のつばぜり合いにもどるだろう。われわれはそれを望むのか?
ただ、疑問に思うのは、選挙の争点を何にするか、というのは解散する立場だけが決めることではない、ということである。選挙で代表を選ぶ時に、誰を選ぶかを決める基準はその人が何を言うかであって、小泉の問いに答えるかどうかではない。たとえば靖国の問題をこの期に及んで「一個人の問題」としても、8月15日はまもなくやって来る。アジア諸国の顔をつぶさずに自分の信念を貫けるか、そこがうまくいかねば、郵政を議論する以前につまずくだろう。
そういう意味では、小泉の言う争点と同じ土俵に他の党、自民の対立派がのるかどうか、というのも重要な分岐点なのである。