それはそれで当たり前かとも思う事件である。
歌舞伎役者が覚せい剤で逮捕されたそうだ。まあ、大御所というよりは勘三郎の門弟、というから純粋のいいとこのぼんぼんでもなさそうだ。歌舞伎役者といえども現代に生きている。その現代に生きている若者がやるのだから、多少なりとも現代の風俗を反映して当たり前である。
だが一方、と考えた。
世襲制のほうがこういう伝統を重んじる世界になじむ、というのは、世間を知らない、ということが重要な要素でもある。さまざまな誘惑があるとしても塀の中に囲ってしまえばそこに誘惑のあることも見えまい。一族みんな似たもの同士で固めてしまえば、ときどきそれに違和感を覚えるはねっかえりの因子さえ我慢すれば純粋さは維持できる、そんな守り方をされてきた世界も多いのではないか。
逆に今のテレビばっかり見て、その要素を歌舞伎に生かせ、というのもなかなか難しい話に違いない。こういうものは能力第一主義、と割り切れるほど能力そのものが問われるわけではないだろう。むしろ普通の現代人であれば欠かせない知識や技術を最初から持たないこと、も重要な素質かもしれないのだ。
もちろん歌舞伎だってその誕生の瞬間においては相当いかがわしいものでもあっただろう。当時の麻薬に相当するようなものだって相当蔓延していたかも知れない。起こったばかりの芸術、というものに常に求められているような猥雑なエネルギー、それなくして歌舞伎の普及、発達というものはありえなかっただろう。
しかしそれが一度確立して、同時代とは別の時間の価値を封印したものとして保存され始めるとき、そこには普遍を求められると同時に現代性との絶縁をも求めなければならない。伝統とはそういうものなのだと思っている。
歌舞伎役者が覚せい剤で逮捕されたそうだ。まあ、大御所というよりは勘三郎の門弟、というから純粋のいいとこのぼんぼんでもなさそうだ。歌舞伎役者といえども現代に生きている。その現代に生きている若者がやるのだから、多少なりとも現代の風俗を反映して当たり前である。
だが一方、と考えた。
世襲制のほうがこういう伝統を重んじる世界になじむ、というのは、世間を知らない、ということが重要な要素でもある。さまざまな誘惑があるとしても塀の中に囲ってしまえばそこに誘惑のあることも見えまい。一族みんな似たもの同士で固めてしまえば、ときどきそれに違和感を覚えるはねっかえりの因子さえ我慢すれば純粋さは維持できる、そんな守り方をされてきた世界も多いのではないか。
逆に今のテレビばっかり見て、その要素を歌舞伎に生かせ、というのもなかなか難しい話に違いない。こういうものは能力第一主義、と割り切れるほど能力そのものが問われるわけではないだろう。むしろ普通の現代人であれば欠かせない知識や技術を最初から持たないこと、も重要な素質かもしれないのだ。
もちろん歌舞伎だってその誕生の瞬間においては相当いかがわしいものでもあっただろう。当時の麻薬に相当するようなものだって相当蔓延していたかも知れない。起こったばかりの芸術、というものに常に求められているような猥雑なエネルギー、それなくして歌舞伎の普及、発達というものはありえなかっただろう。
しかしそれが一度確立して、同時代とは別の時間の価値を封印したものとして保存され始めるとき、そこには普遍を求められると同時に現代性との絶縁をも求めなければならない。伝統とはそういうものなのだと思っている。