こんなブログの中で改めて言うことでもないのかもしれないが、インターネット社会で「匿名性」を認めたことは、人類の歴史の大きな分かれ目だったのかも知れない。
かつて貨幣が生まれ、信用経済が生まれたことで物々交換に過ぎなかった経済交流は飛躍的に拡大したわけだが、それに似たパラダイムのずれが起こりつつあるように思えて仕方がない。あるいはパンドラの箱とでも言うべきか。
人間同士のコミュニケーションにおいて、得体の知れないものを相手にする勇気、というのは元来なかったもののはずである。目の前に現れた生物が、男か女か、年上か年下か、まったく見当もつかなかったらお話しよう、という気分になっただろうか。
この匿名性、というのは双方向的になりたっている、とぼくらが信じるときに何か安心感をもたらすようなのだ。しかし、同時にこれは犯罪やら、ネット詐欺の可能性をも無限に広げた。
ある程度はプロバイダがそれを促進したことも否定できないだろう。無料のアカウント取得、使い捨てのフリーアドレスの配布、身元確認の不確かさ。今でも思うのだが、本当に金銭をやり取りしたりするサイトへの出入りは、すべての匿名性を排除するのが、本来のあり方なのかも知れない。
かつて貨幣が生まれ、信用経済が生まれたことで物々交換に過ぎなかった経済交流は飛躍的に拡大したわけだが、それに似たパラダイムのずれが起こりつつあるように思えて仕方がない。あるいはパンドラの箱とでも言うべきか。
人間同士のコミュニケーションにおいて、得体の知れないものを相手にする勇気、というのは元来なかったもののはずである。目の前に現れた生物が、男か女か、年上か年下か、まったく見当もつかなかったらお話しよう、という気分になっただろうか。
この匿名性、というのは双方向的になりたっている、とぼくらが信じるときに何か安心感をもたらすようなのだ。しかし、同時にこれは犯罪やら、ネット詐欺の可能性をも無限に広げた。
ある程度はプロバイダがそれを促進したことも否定できないだろう。無料のアカウント取得、使い捨てのフリーアドレスの配布、身元確認の不確かさ。今でも思うのだが、本当に金銭をやり取りしたりするサイトへの出入りは、すべての匿名性を排除するのが、本来のあり方なのかも知れない。