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村上春樹の短編は他にも「パン屋襲撃」などを読んだことがあったが、なにぶん昔のことなのでちょっと印象が薄かった。今回改めてこの短編集を読んでみて、長編と同じ肌触りでありながら、切れ味のよい叙情を楽しんだ。

ほとんど現実と地続きの世界での私小説的な記録とも読める「螢」「納屋を焼く」から、まるで宮澤賢治か、デビッド・リンチの世界にでも紛れ込んだような遠近感の混乱を招く「踊る小人」など、描き方はさまざまなのだが、読みながら訪れる、現実と自分との距離感のずれ、あるいはそれに対する自覚は、表現としてのみずみずしさを伴いながらも、現実には失われた時間への何らかの感慨をもたらす。主人公は決して現実の変革者ではない。むしろ現実を前にいつもとまどい、思索し、理解することで受け入れようとする受容者なのだ。

いつもそこで語られる自らの欲望や、その充足はもはや失われてしまったものとして描かれる。「螢」でゴシックで語られるように、死は生の中にその一部として存在している。その時間の不可逆性という視座を持ちえたからこそ、すでに失われた一瞬一瞬が、現在の生の中に息づいているのだ。

純文学というには若々しすぎるかも知れない。ファンタジーというには哲学的過ぎるかもしれない。そんな境界線上にあるこの作家の資質がここには端的な形で示されているように思う。

しばらくミステリーものばっかり、立て続けに読んでいたので、なおさら新鮮な感じがした。