「ビミョー」という言葉を使う人が増えている、という記事があった。わざわざ記事にするくらいだから、この記事を書いた記者本人にはこの習慣に対する違和感がきっとあったのだと思う。実際、自分の周りでも「ビミョー」を使う人は増えているだけに、ああそうかと思う反面、この記事のニュアンスには違和感を覚えた。

「いいか悪いか判断がつかない時に」最近の若者はビミョーと言う、というのがこの記事の趣旨だったのだけど、これはちょっと違うのじゃないか。「いいか悪いか分からない中間の所にある」なら、文字通り「微妙」なので、現代語でも何でもない。

本当にこの言葉を「ビミョーだ」とか言って使う時には、「ほんとはこれは違う、嫌だ、Noと言いたいけど、さまざまな方面に配慮すると、あまりハッキリ言いたくない」と言う意味があるのじゃないだろうか。本当の中間で判断がつかないならば「わからない」とハッキリ言えばいい。そこには表現の難しさなど存在しない。

まあ、新聞記者とNHKのアナウンサーは日本で一番言葉について保守的な人種だから、そのぐらいの物分かりの悪さは必要かも知れないが。