ずいぶん前に買ったDVDを少しでも消化しようと思って「アンドリューNDR114」を見た。原題は「bicentennial man」ということで、「200年生きる(生きた)男」というところか。最近のものに比べて、CGはそこそこに抑えて、その代わりにじっくりと心理描写で見せる。といっても公開されたのはわずか5年前だ。

初めの方はロボットと一家の主サム・ニールとの会話で見せ、後半は一家の次女アマンダ(といってもほとんど名前では呼ばれず、英語でlittle Missと呼ばれている。)と、その孫娘ポーシャとのロマンスで盛り上げている。このロマンスの相手の二役を演じているエンベス・デイビッツ、いい女優さんだと思った。なんでジャケットにもパッケージにも1カットも写ってないんだろう。基本的には美女なんだけど、独特の個性があって、ちょっとアラニス・モリセットに似てるかも。あとシガニー・ウィーバーも連想されるところがあるけど、もっと美人かな。

基本的なストーリーラインは非常にロマンティックで、サム・ニールとアンドリューが人間のセックスについて会話するところが非常におかしい。メイキングを見ると、ロボットの着ぐるみの中も全部ロビン・ウィリアムス本人が入って演じていたらしい。その他、娘との触れ合いから、連弾のシーンで月日が過ぎるところなど、いい感じだと思った。一瞬昔の映画で作曲家のシューベルトを主人公にした「未完成交響楽」を思わせるところもある。

後半がやや長いかな、と思ったのだけど、ラブ・ロマンスが2世代にわたって初めて完結する、というのがかなり異例の話なので、仕方がないのか。最終的なメインテーマになる「人間として認められたい」というテーマについては、見る方の態度を問う、難しい仕掛けでもある。

つまり、本当に、僕らはこの主人公を「人間」として応援することができるか、が見ている間も常に問われるのである。作品中でサム・ニールが彼を自由にするべきかどうか、迷って追いだすシーン、怒りの表現が非常に上手に演じられていて感心するけれども、あそこで、アンドリューの才能を見いだして、いろいろな権限を与えてきた自分の振る舞いが、「しょせんロボットだから、このぐらいしてやると喜ぶだろう」という上からの意識での施しに過ぎなかったのだ、と思い知らされるのである。サム・ニールはアンドリューに対して怒っているのではない、長年積み重ねてきた自らの欺瞞に気づかなかったことに怒っているのである。

ついでに、これをコメディーとして笑いながら見ている我々も、彼が本当に人間になったらそれを笑えるのか?笑いは上位にいるものの優越感の表明でしかないのでは、と自問することになる。

教会の中での告白シーンはなかなかの名場面といえるだろう。ロビン・ウィリアムスのセリフ回しならではのシーンかも知れない。他のシーンでは役柄のせいでずいぶん受け身に回ってしまって彼の真骨頂は発揮できていないので。

後半、国際法廷の裁判長がずいぶんハッキリと言う「永遠に生きるロボットは許容できるが、永遠に生きる人間は、嫉妬のため許容できない」というのは、おそらくこれからも真実なのだろう。これからも寿命はある意味金で買うことができるものになっていくだろう。経済力があればいい医者にもいけるし、臓器提供も受けやすい。高い手術も受けられるだろう。それを不公平と見るか、仕方のない、現実と受け止めるか。