歌舞伎町オールナイトで「宇宙戦争」を見た。えらい人気で、30分遅れで2本併映している映画館もあった。予告編ではトム・クルーズが必死に走っているところとか、お母さんにまたあえるか、とか分けわからんカットのオンパレードだったのであんまりトホホだといやだなぁ、と思いながらチケットを買った。
で、結果的に言うと、思ったほどひどくはなかった。改めて思ったのは、スピルバーグっていう人は、基本的には根がホラー指向の人なのだ、ということ。世間的には「ET」の大ヒットのせいで、ヒューマニズムあふれる、ハートウォーミングなファンタジーを撮る人、というイメージも広まってしまったが、もともとが「ジョーズ」であり、「激突!」の人なのだ。最近でも「ジュラシック・パーク」は完全にホラー映画の作りをしていた。つまり、いわゆるSFにあるような、うんちく付きの装いをすることでよりリアリティー感(あくまでも「感」)を増したホラー、それがスピルバーグ映画の中核にあるのだと思う。
で、「宇宙戦争」のホラー要素は、相手の姿が見えないことにある。見られたら死んでしまうから相手の姿は見ない、相手にも見られないようにする。そうすることで、なまはげ同様、怖いもののイメージは増幅されるのだ。
地面から登場したのは、恐ろしく強力なレーザー光線を発する殺人兵器。序盤にほとんどの機械や電気製品が使えなくなり、「おっ」と思わせるが、車一台だけがトムのアドバイスにより走れるようになり、それがトム・クルーズ一家にアドバンテージを与える。例の殺人兵器はTripod(三本足)と呼ばれるのだけど、これは業界用語では「三脚」のこと。iPod3個じゃありません。
トム・クルーズの演じるのは、平凡なバツいちの工事現場の作業員。別れた妻についていったこども二人との接見日だというのが、大きなおぜん立て。ここにぎごちない元子供とのすれちがいあり、これが最後に和解にいたる、というのが人間ドラマ的な縦筋なのだが、これは全く機能していない。まずいよトム。君にはそんなヒューマンドラマは無理だよ。と教えてあげる人はいなかったのか?まず娘役のダコタ・ファニング、きみ叫びすぎ。たしかに絵に描いたような悲鳴、というのはああいうんだろうけど。言われたことは完璧にやっているんだろうけど、役柄が複雑すぎた上に、台本上での性格の書き込みが多分足りなかったのだと思う。「ハイド&シーク」よりもよっぽどできが悪かった。途中でオシッコしに行って、しそびれたんだけど、そのあと結局一度もトイレに行ってなかった。我慢強いのかなんなのか。あと、息子役、ほとんどトムの背を越しちゃってるんだけど、なかなか反抗的な若者を演じていた。ある時はかっこいいんだけど、ほとんどの時は世間知らずのバカ。このバカをちゃんと叱れないトムのダメダメさ加減がもう我慢できないほど。
だいたい、最初に稲妻やら地割れやらができた時に子供たちほっぼらかして見物に行って、腰を抜かすあたり、まったく親の意識なし。そういうダメな親がだんだん成長していく、というところを見せたかったのだろうか。途中でたくましくなった、と感じさせるシーンがわずかでもあればよかったのだが。
途中ティム・ロビンスが現れ、助けてくれるのだけど、こいつも頭のイカれたおやじなのはしょうがない。しかしトム、いくらおやじがわめいても殺しちゃいかんでしょ、殺しちゃ。ティム・ロビンスの部屋にいる時に、宇宙人の姿が初めてハッキリと現れたり、偵察用のロボから隠れようとする名作ホラーシーンがあるのだけど、鏡のトリックにだまされるなんて、ちょっと宇宙人の知能をなめすぎてないか?
エンディングでの宇宙人の滅亡の仕方は、多分原作を忠実に生かした結果だと思う。ここを尊重しないと、そもそもH.G.ウェルズの原作とは言えなくなってしまうのでね。ただ、人間を食料にするのなら、なんで序盤であんなに無駄な殲滅作戦を実行したのかな。
最後にボストンの妻の家にたどりついてめでたしめでたし、なのだけど、これもアメリカによくある、自分の一家さえよければいい、という典型的な視野狭窄的エゴイズムに貫かれている。別にトム、なにもいいことしないで逃げ惑ってただけじゃん。
そういえば、この映画で共演した女優とトム、婚約したっていうような記事を読んだけど、おかしいなー。共演したといえるような女優さん、いなかったけどなー。ダコタ・ファニングのこと?まさかね。
で、結果的に言うと、思ったほどひどくはなかった。改めて思ったのは、スピルバーグっていう人は、基本的には根がホラー指向の人なのだ、ということ。世間的には「ET」の大ヒットのせいで、ヒューマニズムあふれる、ハートウォーミングなファンタジーを撮る人、というイメージも広まってしまったが、もともとが「ジョーズ」であり、「激突!」の人なのだ。最近でも「ジュラシック・パーク」は完全にホラー映画の作りをしていた。つまり、いわゆるSFにあるような、うんちく付きの装いをすることでよりリアリティー感(あくまでも「感」)を増したホラー、それがスピルバーグ映画の中核にあるのだと思う。
で、「宇宙戦争」のホラー要素は、相手の姿が見えないことにある。見られたら死んでしまうから相手の姿は見ない、相手にも見られないようにする。そうすることで、なまはげ同様、怖いもののイメージは増幅されるのだ。
地面から登場したのは、恐ろしく強力なレーザー光線を発する殺人兵器。序盤にほとんどの機械や電気製品が使えなくなり、「おっ」と思わせるが、車一台だけがトムのアドバイスにより走れるようになり、それがトム・クルーズ一家にアドバンテージを与える。例の殺人兵器はTripod(三本足)と呼ばれるのだけど、これは業界用語では「三脚」のこと。iPod3個じゃありません。
トム・クルーズの演じるのは、平凡なバツいちの工事現場の作業員。別れた妻についていったこども二人との接見日だというのが、大きなおぜん立て。ここにぎごちない元子供とのすれちがいあり、これが最後に和解にいたる、というのが人間ドラマ的な縦筋なのだが、これは全く機能していない。まずいよトム。君にはそんなヒューマンドラマは無理だよ。と教えてあげる人はいなかったのか?まず娘役のダコタ・ファニング、きみ叫びすぎ。たしかに絵に描いたような悲鳴、というのはああいうんだろうけど。言われたことは完璧にやっているんだろうけど、役柄が複雑すぎた上に、台本上での性格の書き込みが多分足りなかったのだと思う。「ハイド&シーク」よりもよっぽどできが悪かった。途中でオシッコしに行って、しそびれたんだけど、そのあと結局一度もトイレに行ってなかった。我慢強いのかなんなのか。あと、息子役、ほとんどトムの背を越しちゃってるんだけど、なかなか反抗的な若者を演じていた。ある時はかっこいいんだけど、ほとんどの時は世間知らずのバカ。このバカをちゃんと叱れないトムのダメダメさ加減がもう我慢できないほど。
だいたい、最初に稲妻やら地割れやらができた時に子供たちほっぼらかして見物に行って、腰を抜かすあたり、まったく親の意識なし。そういうダメな親がだんだん成長していく、というところを見せたかったのだろうか。途中でたくましくなった、と感じさせるシーンがわずかでもあればよかったのだが。
途中ティム・ロビンスが現れ、助けてくれるのだけど、こいつも頭のイカれたおやじなのはしょうがない。しかしトム、いくらおやじがわめいても殺しちゃいかんでしょ、殺しちゃ。ティム・ロビンスの部屋にいる時に、宇宙人の姿が初めてハッキリと現れたり、偵察用のロボから隠れようとする名作ホラーシーンがあるのだけど、鏡のトリックにだまされるなんて、ちょっと宇宙人の知能をなめすぎてないか?
エンディングでの宇宙人の滅亡の仕方は、多分原作を忠実に生かした結果だと思う。ここを尊重しないと、そもそもH.G.ウェルズの原作とは言えなくなってしまうのでね。ただ、人間を食料にするのなら、なんで序盤であんなに無駄な殲滅作戦を実行したのかな。
最後にボストンの妻の家にたどりついてめでたしめでたし、なのだけど、これもアメリカによくある、自分の一家さえよければいい、という典型的な視野狭窄的エゴイズムに貫かれている。別にトム、なにもいいことしないで逃げ惑ってただけじゃん。
そういえば、この映画で共演した女優とトム、婚約したっていうような記事を読んだけど、おかしいなー。共演したといえるような女優さん、いなかったけどなー。ダコタ・ファニングのこと?まさかね。