もう亡くなった指揮者の演奏を聴くことの方が多くなってしまった。
その中でも、自分の中で別格の指揮者がこのクラウス・テンシュテット。NHKのFMで知ったのが最初で、もともとは東ドイツの指揮者だったらしいが西に亡命。喉頭がんを患っていたため、その活躍の期間は短かったが、健康に問題さえなければカラヤンの後継者を狙うこともできたかも知れない。そう思わせるほど「神がかった」演奏を聞かせる人だった。バトンテクニックはそれほどあったわけでもないらしいが、激しいテンポの揺れ動き、即興的な響きの構成、圧倒的な説得力、どれも全盛期のフルトヴェングラーもかくや、と思わせるところがあった。
彼がそのキャリアの途中で喧嘩別れしてしまったのが、ハンブルグの北ドイツ放送交響楽団。別れ際には「もっと国際性を持ったほうがいい」などと、さんざん酷評していたが、実はこの時期の演奏が一番脂がのっていて、説得力があるものが多い。
なかでも超絶的、別格の出来なのがマーラーの交響曲2番「復活」である。会場の響きが非常によく、放送録音の海賊版が数種類発売されたが、どれを聞いても、その演奏のすごさは伝わると思う。
テンポ設定、運び、バランス、そしてコーラスはそれぞれこれ以上を望むべくもない理想の姿で、おそらくマーラー直弟子のワルターやクレンペラーにもこれほどの高みには達することができなかったと思う。激情も諦念も、すべてが渾然一体となり、あやういまでに高ぶりながら、アンサンブルとしては一体感を失っていない。圧巻は終楽章のコーラスである。ソリストとコーラスが一体となり、理想的なバランスで復活を高らかにうたう。クライマックスに向かう加速も絶妙である。
わずかに瑕疵があるとすれば、終楽章になってからは細かい打楽器系が複雑なリズムについてこれずに脱落している箇所がいくつかあることぐらいか。
テンシュテットは北ドイツ放響を離れた後はロンドン・フィルハーモニーと親密な関係にあったが、残念ながらレコーディングからは、その燃えカスのような演奏しか伝わってこない。テンシュテットは、根が実演の人なのである。この「復活」もレコーディングしているが、最悪なのはコーラスである。ドイツ語が下手なのか、あるいは発声がよくないのか、非常に薄っぺらく、一番の勘所でずっこけさせられた記憶がある。オーケストラの音も全般的に痩せて貧しく聞こえる。
その中でも、自分の中で別格の指揮者がこのクラウス・テンシュテット。NHKのFMで知ったのが最初で、もともとは東ドイツの指揮者だったらしいが西に亡命。喉頭がんを患っていたため、その活躍の期間は短かったが、健康に問題さえなければカラヤンの後継者を狙うこともできたかも知れない。そう思わせるほど「神がかった」演奏を聞かせる人だった。バトンテクニックはそれほどあったわけでもないらしいが、激しいテンポの揺れ動き、即興的な響きの構成、圧倒的な説得力、どれも全盛期のフルトヴェングラーもかくや、と思わせるところがあった。
彼がそのキャリアの途中で喧嘩別れしてしまったのが、ハンブルグの北ドイツ放送交響楽団。別れ際には「もっと国際性を持ったほうがいい」などと、さんざん酷評していたが、実はこの時期の演奏が一番脂がのっていて、説得力があるものが多い。
なかでも超絶的、別格の出来なのがマーラーの交響曲2番「復活」である。会場の響きが非常によく、放送録音の海賊版が数種類発売されたが、どれを聞いても、その演奏のすごさは伝わると思う。
テンポ設定、運び、バランス、そしてコーラスはそれぞれこれ以上を望むべくもない理想の姿で、おそらくマーラー直弟子のワルターやクレンペラーにもこれほどの高みには達することができなかったと思う。激情も諦念も、すべてが渾然一体となり、あやういまでに高ぶりながら、アンサンブルとしては一体感を失っていない。圧巻は終楽章のコーラスである。ソリストとコーラスが一体となり、理想的なバランスで復活を高らかにうたう。クライマックスに向かう加速も絶妙である。
わずかに瑕疵があるとすれば、終楽章になってからは細かい打楽器系が複雑なリズムについてこれずに脱落している箇所がいくつかあることぐらいか。
テンシュテットは北ドイツ放響を離れた後はロンドン・フィルハーモニーと親密な関係にあったが、残念ながらレコーディングからは、その燃えカスのような演奏しか伝わってこない。テンシュテットは、根が実演の人なのである。この「復活」もレコーディングしているが、最悪なのはコーラスである。ドイツ語が下手なのか、あるいは発声がよくないのか、非常に薄っぺらく、一番の勘所でずっこけさせられた記憶がある。オーケストラの音も全般的に痩せて貧しく聞こえる。