昨日に引き続き別な送別会があった。今頃の季節に2件も続けてあるのは珍しい。そういう歳になったということか。

で、今日のは幹事めいたことを引き受けていたので、朝からプレゼントの購入やら、宅急便の受け取りやらで結構忙しかった。頭はいまいち回転してなかったかも。会場では、受付兼会計をやり、遅れてきた人が結構いたのでばたばたと。

で、気になる主賓の先輩が会社を辞める理由。初めのうちは、「辞める理由は何か、ということを考えることよりも、辞めない理由を見つけることが難しい」などと一見哲学的なことをいろいろと言っていたのだが、結局のところ、これは一種のカムフラージュで、最後の挨拶でとうとう白状したのだが、これ以上会社にいることで、どんどん現場としての面白い職場から遠ざかることが耐えられないと思った、ということのようだった。

自分よりもわずか6歳程度しか変わらない人のこのセリフには、重みがあった。日本だから、定年まであと何年、年金がいくら、という発想になるが、それが本当に生きていることになるのか。ファインディング・ニモの「人生何も起きないように過ごしていくのは無理だ」というセリフは、「何も起きないような人生は無意味だ」と言っているのだ。

今、若い人が就職せずにいて、しかもその事実にあせりを感じていないらしい。それをおかしい、と感じるマスコミがそれを連日報じるのだが、いったい本当はおかしいのかおかしくないのか。一度白紙になって考える価値のあるテーマだ。