あちこちで(といっても一部)話題になっていた、チェリビダッケとミュンヘン・フィルの「幻想交響曲」を海賊盤で聞いた。
これはいわゆる放送録音の無許可CD化とは別次元の、真正の(?)違法録音による、海賊盤。レーベルはMORGAN'S LIBRARY INC. NEW YORK となってるが、日本人の匂いがぷんぷんする。演奏が終った直後のブラボーも日本人ぽい無粋な発声だし。
一聴して音がひどくハイ上がりなのが目立つ。というより低音が恐ろしく足りない。その上、お風呂のような残響の長さ、これはホールの2階などで録っているからかも知れない。1986年だと、もうガスタイクに移ったばかりの頃だろうか。いわゆる売り文句のレビューでいろいろとおどろおどろしいことを書いてあるが、なんてことはない、これはエコーにだまされているだけで、この曲でチェリビダッケがやっているのはごく普通のことばかりである。
唯一、「おっ」と思わせたのは終楽章のフーガ部分の処理。ポリフォニーのフレージングにはことのほか慎重になるチェリビダッケだけに、強弱のメリハリや、鐘の叩かせ方、音色など今までに聞いたことがないものだった。もっといい環境で録れていれば、こういう多層的な響きの構成はもっと雰囲気を持って立ち上がってくるはずなのに、おしいなぁ。
あと、終楽章の一番終わりだけ、妙にあおったような加速がかかり、ややこのころのチェリビダッケの演奏としては性急な感じがして構成美に欠ける。ロマン派のモノを得意としている彼は、チャイコフスキーなどではもっとテンポにメリハリをつけてエアポケットのような効果をあちこちに仕掛けてくれるのだが。どうみてもこれはチェリビダッケの水準からは凡庸以下の演奏だと思った。
実は以前に海賊盤の白黒ビデオで、イタリアのRAIのトリノ放送交響楽団との演奏を見たことがある。1960年代のもので、CDでも同じ音源がステレオで発売されてたりするのだが(もちろん海賊盤)、こちらのほうが映像込みで非常に説得力と若々しい活力にあふれていて、トータルでは一貫性が保たれた、主張の明解な演奏だった。このころのもので、もしももっといい録音の音源があれば、正規盤にして欲しいものだ。特にいろいろと宝が埋もれているはずのイタリアやスウェーデンの放送局にはがんばって欲しい。
これはいわゆる放送録音の無許可CD化とは別次元の、真正の(?)違法録音による、海賊盤。レーベルはMORGAN'S LIBRARY INC. NEW YORK となってるが、日本人の匂いがぷんぷんする。演奏が終った直後のブラボーも日本人ぽい無粋な発声だし。
一聴して音がひどくハイ上がりなのが目立つ。というより低音が恐ろしく足りない。その上、お風呂のような残響の長さ、これはホールの2階などで録っているからかも知れない。1986年だと、もうガスタイクに移ったばかりの頃だろうか。いわゆる売り文句のレビューでいろいろとおどろおどろしいことを書いてあるが、なんてことはない、これはエコーにだまされているだけで、この曲でチェリビダッケがやっているのはごく普通のことばかりである。
唯一、「おっ」と思わせたのは終楽章のフーガ部分の処理。ポリフォニーのフレージングにはことのほか慎重になるチェリビダッケだけに、強弱のメリハリや、鐘の叩かせ方、音色など今までに聞いたことがないものだった。もっといい環境で録れていれば、こういう多層的な響きの構成はもっと雰囲気を持って立ち上がってくるはずなのに、おしいなぁ。
あと、終楽章の一番終わりだけ、妙にあおったような加速がかかり、ややこのころのチェリビダッケの演奏としては性急な感じがして構成美に欠ける。ロマン派のモノを得意としている彼は、チャイコフスキーなどではもっとテンポにメリハリをつけてエアポケットのような効果をあちこちに仕掛けてくれるのだが。どうみてもこれはチェリビダッケの水準からは凡庸以下の演奏だと思った。
実は以前に海賊盤の白黒ビデオで、イタリアのRAIのトリノ放送交響楽団との演奏を見たことがある。1960年代のもので、CDでも同じ音源がステレオで発売されてたりするのだが(もちろん海賊盤)、こちらのほうが映像込みで非常に説得力と若々しい活力にあふれていて、トータルでは一貫性が保たれた、主張の明解な演奏だった。このころのもので、もしももっといい録音の音源があれば、正規盤にして欲しいものだ。特にいろいろと宝が埋もれているはずのイタリアやスウェーデンの放送局にはがんばって欲しい。