最初ニモが主人公の話かと思って見始めたのだけど、実はバランスで言うと父親のマーリンの話がメインなのだと気づいてから見やすくなった。

かつて妻と子供たちを亡くした体験から、残された一人息子ニモを大切に育てようとするあまり、過保護に育ててしまった父親が、息子の冒険心を肯定できるか、というのがメインのストーリーなのだが、生物学的に見た時にも、これは興味深い観点と言えるだろう。

魚の世界では必ず起きる「確率的な死」というものを否定しながら生きようとしても、それは生きていないのと同義になってしまう、という一見矛盾した真理なのだな。途中でDoryがMarlinに語るところで、"I won't let anything happen to him."というのは無理だ、と言うのだけど、それは「確率的な死」という現象そのものも「生」の一部に他ならないからなのだ。徒然草にも「死は沖の方から迫ってくると思って遠くを見つめているけれども、じつは死は足下からやって来る」という意味の言葉があったと思う。

最近起きるさまざまな事故・災害の時に、メディアは個人的な悲劇、という観点から悲しみにフィーチャーしがちだが、本当にそれが報道において大切なことなのか、個人的には疑問に思う。人災だから、よりよい仕組みを考えるべき、というのは十分に建設的な考え方だが、事故はゼロにはできない。飛行機だってある程度の確率で起きるし、交通事故も同じだ。たとえば死因の第一位ががんになった、という報道があったときに、それは何を意味するのか。一位ががんでなかったとしても、何かが一位になる。老衰が一位でないとみんな我慢できない、ということなのか。人間の世界でもそんなことを思った。人間ほど、個人の幸福を追求する種はこの地球上にいない。何十億人、この地球上にいようとも、一人の不幸な死が我慢できないものになりつつある。「BLADE 3」でも生じた「人命の尊重と軽視」の問題とも結びついているのかもしれない。

特典映像のコメンタリーを見ると、当初は父親とニモの話を分けるべきかどうか最初は迷ったそうだ。結果的にはこれが大正解だったことがわかる。それぞれのシーンのカットバックの設定が非常にうまくいっていたなぁと感心。魚の世界の話だから、ありえない設定の導入はしかたがないところだが、サメまでがベジタリアン的なことを言い出すのはちょっと人間社会を連想させすぎかも。ウィレム・デフォーのキャスティングに感心したのと、企画のプレゼンの映像があって、そこで監督がエネルギッシュに企画を語っているところが非常に説得力があった。